「閑話休題」(五三)

 

一,多元№一七五に,「推古朝における遣唐使(一)――小野妹子と裴世清――」なる論考を掲載して頂きました。

 多元への投稿は,平成三十年(二〇一八)№一四三での「法興年号」論以来,五年振り二度目のことでした。この間,専ら自らのブログのみで自説の公表を行ってきました。

 今回の投稿の契機となったのは,多元の会による「オンライン研究会」への参加でした。

本年二月に事務局長の和田様から,オンラインでの研究会への参加を打診がありました。実際それに参加してみると,そこは何人もの会員の皆様と自由な意見交換を行うことができる場でした。

 これまで,古代史を研究されている多くの研究家との交流を全く持たなかった自分にとって,この研究会への参加は,唯一貴重な交流場となりました。この体験を基に,これからは自己研鑚のためにも,より積極的に対外的発信を行っていくべきとの考えに至りました。こうしたことが,今回の投稿の背景となっていたものです。

 

二,掲載に際して,「編集室から」という後書きに,(WADA99)の署名の下,次のような紹介文が記されていました。

 「大変明快で説得力があると感じています。」

 久方ぶりの投稿の私に対し,とても暖かい言葉をかけて下さっていることに,衷心より感謝致しているところです。

 また,松山市の合田洋一氏からも,「こうした視点から分析した論考には,初めて出会い,その内容については,支持するに十分である。」との電話も頂きました。非常に心強く,有り難い電話でした。

 そして,古賀達也氏は,氏のブログ「洛中洛外日記」三〇〇七話(令五,五,五)で,次のような意見を述べられていました。

 「意表を突く仮説であり,その当否はまだ判断できませんが,わたしは注目しています。今後の検証と論争が期待されます。」

 私にとっては,古田先生の言葉ように「単に論理の向かうべきところに行こうではないか。例え,それがどのような結論となろうとも。」とのお言葉に従ったまでのことで,とりたてて読み手の方々の意表を突くつもりもありませんでした。また,特に突飛もない仮説とも考えてはおりませんでした。

 ただ,想像以上に古賀氏が驚かれたようで,私にはそのことの方が逆に驚きにも感じられています。

もっとも,古賀氏は「小野毛人」について,近畿天皇家の人物との見解を多元などで発表されており,その父たる妹子についても近畿天皇家の人物との理解に立っていたのかも知れません。

その古賀氏を以て,「注目しています。」との言葉を頂けたのは,有り難いことだと感じています。

 

三,このように掲載後早速に,多元史観論者の中心的立場におられる御三方から,こうした言葉を掛けられたことに安堵する一方,「投稿して良かった」との思いが改めてしております。

 これに続く(二)の原稿は,(一)と共に多元の会の方へメール済みであります。次号掲載とも聞いておりますが,諸兄姉の御意見・御批判賜れば,と考えております。

 

四,ところで話は変わりますが,自分のブログでは,書きたいように書いてほとんど見直すこともなく,自由奔放な文章であったことを今更ながら気付かされました。

 いざ投稿するとなると,掲載スペースの問題もあり,冗長な文章では余りに無駄が出ることが初めて分かりました。そして,和田様からのアドバイスは,「小さな項立てをして,読む人にその後の文章の理解を促すように」とのことでした。これが非常に適切なものでした。

 こうしたことに気使いながら,かつてのブログから主旨を変えることなく,もう一度文章を書き直すことは,不慣れな自分にとってなかなか大変なことでした。そして,「世の中にはどれほど多くの著作物や論文などがあろうかと想像もできませんが,著作者達は,皆こうした努力をしていたのか」と改めて感じ入っていたところでもあります。(今更何を言っているのだ,との声も聞こえてきますが,恥ずかしながら事実なのです。)

 まだまだ未熟で無駄の多い文章との批判は甘受し,これからなお一層精進して参りますので,論考の本意をお汲み取り頂ければ幸いと存じます。