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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

2.自閉症の社会的認知  〔歴史のさんぽみち〕

 

ローナ・ウィングの登場によって自閉症研究の歴史は大きく動く。また、社会的な認知も進む。1つには、カナーによる「毒親原因説」が否定されたことで、自閉症者と家族がそれまで声を潜めていたのが解放されたことがある。2つには、「稀な疾患ではない」とされたことで、自閉症が見直される気運が高まったことがある。そして、3つにローナ・ウィングが発掘したハンス・アスペルガーの「症状には幅がある」という、今日の「自閉症スペクトラム」に通じる捉え方が広がったからだ。

1988年、ダスティン・ホフマンが自閉症者を見事に演じアカデミー賞を受賞した映画「レインマン」が大ヒットし、自閉症は社会的にも認知されはじめる。自閉症の中でもドラマティックな「アスペルガー症候群」は書籍やドラマでも度々取りあげられ、一般の人でもよく知られるようになった。

映画「レインマン」のヒットが、自閉症の社会的認知につながったのはどうしてなのか。それは、ダスティン・ホフマンの演技がとても見事だったからだ。ホフマンは、実際の自閉症者をよく観察し、成り切って演技していた。その演技を画面から観ていた人々は、そういう自閉症者って「いるよなぁ」と思えたし、ホフマンの動きの一つ一つを「あるよなぁ」と思えた。その「あるよなぁ」は、感情の表れとして「わかるよなぁ」でもあった。そして、トム・クルーズ演じる弟が、最初は遺産相続に目がくらんで兄を利用しようとしていたのに対して、ピュアであること、それがよくわかった。また、ストーリーが進むにつれて兄と弟の気持ちの交流が描かれていたこと、などがある。かんたんに言うと、別世界の人種だと思われていた自閉症者が、おても身近に感じられたことだ。

そして、ハンス・アスペルガーを通してローナ・ウィングが、自閉症を「スペクトラム」として診たことだ。つまり、「少なからず広範にある」ことなのだ、ということだったからだ。

自閉症の社会的認知にとって、1981年のローナ・ウィング論文、1988年の映画「レインマン」のヒット、この2つは大きな出来事だった。


 

1.自閉症研究史 〔歴史のさんぽみち〕

自閉症の一型である「アスペルガー症候群」にまつわる歴史は劇的である。この名称はオーストリア人の小児科医ハンス・アスペルガー(1906-1980)に由来するが、アスペルガーの業績はナチスから逃れ米国ジョン・ホプキンス大学で研究を行ったレオ・カナー(1894-1981)の業績に隠れて忘れられていた。
カナーは、アメリカではじめて「児童精神科医」と呼ばれた優秀な医師であった。カナーは、ジョンズ・ホプキンス大学で臨床研究を重ね、11名の子どもの症例を報告している。そこでは、「聡明な容貌」「常同行動」「高い記憶力」「機械操作の愛好」などの特徴を考察し、それを「自閉」として捉えている。現在の「自閉」とは異なった捉え方であり、(1)自閉症を後天的でまれな小児精神病と考えたこと(2)冷酷で愛情に欠けた親に原因があるという「毒親仮説」を唱えたこと、この2つの誤謬を犯していた。

カナーとほぼ同時期の1944年に、オーストリア・ウィーンでハンス・アスペルガーは、4人の少年を被験者とし、「共感能力の欠如、友人関係を築き上げる能力の欠如、一方的な会話、特定の興味における極めて強い没頭、およびぎこちない動作を含む行動および能力のパターン」を同定し、研究報告をまとめた。しかし、この報告は第二次世界大戦のさなかにドイツ語で書かれた論文ということもあって、広く知られることはなかった。
 
ローナ・ウィング
歴史は下り、英国の精神科医ローナ・ウィング(1928-2014)の登場により自閉症研究の状況は変わる。ウィングの子どもは自閉症であり「毒親が原因など馬鹿げた主張だ」と考えた。さらにウィングは自閉症を多種多様に幅のある状態と考え、カナーの定義とは異なる正しい診断基準のもとでの有病率を苦労して明らかにした。その結果、自閉症有病率は既報よりはるかに高いことが分かった。この解釈に困ったウィングは過去の研究を検討したが,ドイツ語で書かれたため注目されなかった「自閉性精神病質」という1944年の論文を見つけた。この論文の著者こそがアスペルガーであった。「決して稀な疾患ではない」「自閉症にはその症状には幅がある」という指摘は正鵠を射るもので、のちの「自閉症スペクトラム障害」という概念につながった。1981年、ウィングはアスペルガーを称え「アスペルガー症候群」という名称を初めて用いたのである。
 

物語の構想・土偶の魅力 〔歴史のさんぽみち〕

(4)北海道美々遺跡
(4)は、北海道美々遺跡で発掘された土偶。おやおや、縄文時代でなく現代のどこかで見たことがあるような、斬新なデザイン性を感じる。タマゴ型の胴体。頭部から足までのなだらかな曲線。穴が空いているのは口? それなら上部は顔で、円形の線刻で区切られ、腹部は小憎らしいほどの線刻でデザインされている。頭の上の装飾は、何かわからない。相変わらず手足が短く、チョコンと揃えた足が可愛い。
こんなデザインをもたらした原動力は、何か物語があってのことではないだろうか。それが何だか分からないが、その世界を覗いてみたいと思うのだ。



(5)群馬県吾妻町郷原遺跡

 

(5)は、群馬県吾妻町郷原遺跡で発掘されたもので、「ハート形土偶」と呼ばれてきたものだ。「ハート形」と呼んでいるのは、頭部の形を見て現代の私たちが言っているもので、縄文の時代に「ハート」が意識されていたかどうかはわからない。
 大きな鼻、両眼、これは粘土をくっつけたものだろう。ハートの一番下に小さな穴。口だと思える。だとしたら、鼻・眼・口がとてもアンバランスだ。

アンバランスなのは、手足、胴体もそうだ。(4)の土偶と逆に、極端にくびれた胸部・腹部。肩?から垂直に垂れ下がった両手? 股間の空間をしっかり開けて仁王立ちする両脚。身体の各部がとてもアンバランスなのに、絶妙に緊密に統制がとれている。乳房と正中線がしっかり表され、胴部に緊密に線刻模様が描かれている。こんな土偶を、縄文人は作ったのだ。