短歌のなかの〈老い〉を読む-6 | SIS日記

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NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
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スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
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わかき日の疑問 〔文学のさんぽみち〕

(わか)き日の疑問の奥に在りしもの解らねばいまだ老いに到らず
                       (橋本喜典)


橋本喜典のこの歌は、よくわかる。というか、こころに沁みて来る。少年や青年だった時、いろんな疑問を持った。その疑問について、あれこれ探り、考えた。青臭く、生意気な面があったかもしれない。だが、橋本の語には、「疑問の奥に在りしもの」とある。たんなるノウハウの疑問でなく、かたまりとして横たわっている疑問あるいは問題だということが想像できる。人生を賭けて解明したい、それでなければ「いまだ老いに到らず」。

すると、ここで言われる〈老い〉は、身体のそれよりも精神のそれだ。精神の〈老い〉は、最後まで問い続けることを倦むのでなければ訪れないのではなかろうか。

そう考えていると、前田夕暮の次のような歌に出会い、さらに思いに沈む。

 
魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて
                                                      (前田夕暮)


これは、自らによる自らの「魂・たましい」への問いかけだ。二人の己(自分)がいる。若き日の夢を捨て去った現実の己と、その夢から立ち去り難く漂う魂の己と。こんな風にして己を見詰めることは、なまなかなことではない。ここにいる我は、どうなのかと思ってしまう。

〈老い〉とは、何だろうか。果たして……。