もの言はぬ木草と居れば 〔文学のさんぽみち〕
もの言はぬ木草と居ればこころ足り老い痴れし身を忘れし如き
(窪田空穂)
窪田空穂が、こんな歌を詠っている。ものを言わない木や草を目の前にして居れば、老いて呆けた我を忘れてこころ足りる時を過ごすことができる、という。
木や草は、偉ぶることもなく、卑下もせず、ただあるがままに生きている。その木や草を見ている、ただ一緒に居る。その時の自分は、透明なほどの〈素〉であるだろう。人の世の〈関係性〉から導き出され、比べたり、落ち込んだりせず、自分は自分だと感じることができる。〈老い〉も忘れている。
命一つ身にとどまりて天地(あめつち)のひろくさびしき中にし息す
(窪田空穂)
〈老い〉を忘れた己(おのれ・自分)でいると、天地が大きく広がる中で、ただの一つの生きものとして息をする己がそのまま感じられる。「命一つ身にとどまりて」とは、何と気高く美しき言葉か。
