短歌のなかの〈老い〉を読む-2 | SIS日記

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NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

もの言はぬ木草と居れば 〔文学のさんぽみち〕



 もの言はぬ木草と居ればこころ足り老い痴れし身を忘れし如き
                       (窪田空穂)


窪田空穂が、こんな歌を詠っている。ものを言わない木や草を目の前にして居れば、老いて呆けた我を忘れてこころ足りる時を過ごすことができる、という。

木や草は、偉ぶることもなく、卑下もせず、ただあるがままに生きている。その木や草を見ている、ただ一緒に居る。その時の自分は、透明なほどの〈素〉であるだろう。人の世の〈関係性〉から導き出され、比べたり、落ち込んだりせず、自分は自分だと感じることができる。〈老い〉も忘れている。


  命一つ身にとどまりて天地(あめつち)のひろくさびしき中にし息す
                       (窪田空穂)


〈老い〉を忘れた己(おのれ・自分)でいると、天地が大きく広がる中で、ただの一つの生きものとして息をする己がそのまま感じられる。「命一つ身にとどまりて」とは、何と気高く美しき言葉か。