五味太郎「かくれんぼ かくれんぼ」 
 
 
 「かくれんぼ(隠れん坊)」遊びは、誰しも経験した遊びだと思います。身ひとつで鬼役と子役を交代しながら、<見つける・見つけられる>瞬間をハラハラ、ゾクゾクしながら味わう遊びです。
 
 路地遊び、原っぱ遊び、異年齢集団遊びが見られなくなっても、この遊びは消滅せずにいます。絵本の世界では、「かくれんぼ」を題材とした絵本が何冊かあり、根強い人気を保っています。
 
 おとなが大真面目で「かくれんぼ」を論じている書物もあります。柳田國男(民俗学)をはじめ、藤田省三(思想史)、かこさとし(遊びの伝承史)、斉藤次郎(子ども学)など、多岐にわたります。
 
 それらの論を読んでいると、『異界・他界』と『現世・この世』との関係や行き来というようなことが語られています。なぜ、こんな難しいことが「かくれんぼ」遊びについて語られているのか。かみ砕いて言うと、およそ次のようなことです。
 
………鬼役が決まって子役は一斉に駆け出し、鬼から見えない場所に隠れる。うまく隠れることは、なかなか見つからないことだ。その時、急激に、ひとりぽっちの自分ががらんとした空間に放置されたような感覚に陥る。ほんとうに鬼は来るだろうか。自分は置き去りにされたのではないだろうか……。こんな風にして、一種の異界体験と、鬼役に発見された時の現世回帰体験とが交互にされる、ということです。
 
 たしかに、上手に隠れるほど、世界から孤立してしまうような感覚がありそうです。そこで、絵本の名手・五味太郎は、「かくれんぼ」遊びをどう味付けしたのか、見てみましょう。
……と、ここまでの長丁舌で紙幅が尽きてしまったので、五味絵本の表紙だけ紹介させていただいて、続きは明日にします。ごめんなさい。(鮮)