東田直樹 「新幹線の雨」
明けましておめでとうございます。今年も変わりなく、よろしくお願いします。
自閉症で作家である東田直樹さんのエッセイに「新幹線の雨」という掌編があります。(東田直樹・1992年生。会話のできない重度の自閉症でありながら、文字盤ポインティングやパソコンを駆使してのコミュニケーションが可能。著作多数あり。「新幹線の雨」は「跳びはねる思考」イースト・プレス刊に所収)
東田さんが新幹線に乗っていて、雨が降ってきたときのこと……。
〔A〕・『雨は普通、空から地面に向けて落ちていきます。その時々で強さは違いますが、一定のリズムを持っていると思います。
僕は雨音が、時を刻んでくれていることに気づきます。そして、知らぬ間に数を数えはじめるのです。体の中を突き抜けるようなリズムが耳にこだまします。』
僕は雨音が、時を刻んでくれていることに気づきます。そして、知らぬ間に数を数えはじめるのです。体の中を突き抜けるようなリズムが耳にこだまします。』
〔B〕・『しかし、新幹線の窓を打ちつける雨に、リズムはありません。まるで、人の涙みたいに、ぼろぼろとこぼれ落ちたり、さめざめと泣いたりしているように見えるのです。
ひと粒ひと粒が、自分の意思で窓に張りついてきたかのような動きで、僕の目を釘づけにします。
ただの雨粒なのに、それぞれが違う速さで流れ出したとたん、神様から命を与えられた存在に変わるのです。』
ひと粒ひと粒が、自分の意思で窓に張りついてきたかのような動きで、僕の目を釘づけにします。
ただの雨粒なのに、それぞれが違う速さで流れ出したとたん、神様から命を与えられた存在に変わるのです。』
〔鑑賞〕
『カギ括弧』前段〔A〕は通常の雨に対する記述で、「しかし」以下の後段〔B〕は新幹線の窓を打ちつける雨についての記述です。
『カギ括弧』前段〔A〕は通常の雨に対する記述で、「しかし」以下の後段〔B〕は新幹線の窓を打ちつける雨についての記述です。
通常の雨の音がリズムを刻んでいる描写は、とてもよくわかります。そして、そのリズムが「体の中を突き抜けるよう」という感覚は、東田さんの鋭敏な感性を示しています。〔A〕
それに対して、〔B〕の描写はすこぶる特異的です。新幹線の窓を打ちつける雨は、まるで人の涙みたいに、ぼろぼろとこぼれ落ちたり、さめざめと泣いたりしているようで、それぞれが自分の意思で動き、神様から命を与えられた存在に変わるというのです。
新幹線の窓を打つ「横殴りの雨」というのは、猛スピードで疾走する新幹線車体と雨水とが窓ガラス平面上にてもたらす一定の自然現象である。こういう「理屈」は、「わかります」と東田さんは書いています。
そうしますと、東田さんは、「理屈」がわかった時点で見るのを切り上げない、見続ける、あるいは見ることに浸り続けていると思います。そうして、ぼろぼろ、さめざめと、一粒一粒がまるで意思を持って動いているかのような雨粒を描写しているのです。
おそらく東田さんは、「浸り続けている」というよりも、「浸り続けてしまう」と言った方が本当のところではないかと思います。 (鮮)
