アイヒマンをめぐる映画から 
 
  「アイヒマンを追え」
 
 アイヒマン(アドルフ・オットー・アイヒマン。1906~1962。ナチス政権下のドイツの親衛隊将校。ゲシュタポのユダヤ人移送局長官)をめぐる映画は数多くあります。
 
 ドイツ検事長・フィリッツ・バウアーを主人公とした、ドイツの戦後処理をめぐった映画『アイヒマンを追え』、アイヒマン裁判(エルサレム裁判)のテレビ放映をめぐって苦悩・格闘するテレビ報道マンの映画『アイヒマン・ショー』、そしてアイヒマン裁判(エルサレム裁判)の記録映画、それからアイヒマン裁判(エルサレム裁判)を傍聴し記録したアンナ・アーレントを主人公とした映画「アンナ・アーレント」などです。
 
 時代を超えてアイヒマンが映画の題材として繰り返し取り上げられるのは、彼の生涯が戦時中・戦後処理のなかでとてもドラマティックだからです。そこで、そのドラマティックな要素を列挙してみましょう。(「ドラマティック」という表現は不謹慎と言われるかも知れませんが……)
●アドルフ・オットー・アイヒマンは、ナチス政権下のドイツの親衛隊将校。ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送にかかわる。「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送する指揮官であった。
 
●ナチス崩壊後、アイヒマンは、親ナチス政権下にあったアルゼンチンに偽名を使って潜伏する。
 
●戦後、ナチス残党はアルゼンチンをはじめ世界各国に潜伏し、秘密裏に戦後処理の遅れと混乱を図っている。
 
●戦後のドイツ国内にもナチス残党は潜伏。ドイツ警察、検事局にも潜伏し、ナチス犯罪摘発の妨害を企む。(ドイツ検事長フィリッツ・バウアーを主人公とした映画「アイヒマンを追え」は、この経緯を背景に映画化している)
 
●1960年5月、イスラエルの諜報特務機関(秘密警察)モサドは、2年間の入念な調査と張り込みの末にアイヒマンを拘束し、エルサレムに連行した。その後、アイヒマンはエルサレムの法廷にて裁判を受け、死刑が確定し絞首刑となる。
 
●イスラエル・モサドによる連行はアルゼンチンの主権侵害に抵触する行為であった。裁判で、そのことが争点の一つとなるが却下される。当時の世界のユダヤ人社会社会への負い目が作用したと考えられる。イスラエル・モサドは、その後強権化する。(映画「ミュンヘン」におけるモサドの暗躍を見よ)
 
●イスラエル・モサドにアイヒマン潜伏の情報を連絡したのは、ドイツ検事長フィリッツ・バウアーであった。彼は、アイヒマンをドイツでこそ裁くべきだと考えていたが、結果的に果たせなかった。(ナチス残党の暗躍。バウアーの死後明るみに出る。映画「追え」を見よ。)
 
●エルサレム裁判(1961年)は、世界中で反響を呼ぶ。イスラエル国内では裁判経過をラジオで聞くために街から人通りが絶えたと言われる。(映画「アイヒマン・ショー」の背景)
●エルサレム裁判は、論争を引き起こした。罪と責任をめぐって。(映画「ハンナ・アーレント」の背景)
 
 さて、ここに至ってようやく、テーマに少し近づいてきました。今回のテーマは、『人は大事な思考をする時、ひきこもる』です。結論を先に言うと、アイヒマンは大事な時にひきこもらなかった人物です。その詳細は、次回に書きたいと思います。(鮮)