「社会的孤立を防ぐ」支援??  
 
 
 石崎森人さんの手記から、そして吉本隆明氏・芹沢俊介氏の考え方を借りて、ひきこもりについて考えてきた。難解だったり、混乱したとしたら、ひとえに書き手(鮮)の力量不足のためであり、お詫びしたい。
 
 そこで、一番はじめの、ひきこもっている人に向かって『君は、一人ぼっちじゃない』というメッセージを送る問題に戻ってみる。それは、〔ひきこもり支援〕とは何か、どうあるべきか、〔ひきこもり支援は必要なのか〕、等の問いにつながっていくだろう。
 
  私は、こう考える。『君は一人ぼっちじゃない』というのは、そう言っている側がひきこもりをどう考えているかによるだろう。支援を考える側が、ひきこもりは無くさなきゃいけない、それは社会的な孤立だから脱却しなきゃいけないと考え、なにがしかの場所を用意しているのなら、「こっちに出てくれば一人ぼっちじゃない。出てこないと一人ぼっちだよ」ということになりかねない。それは、外側からの表層的なひきこもりの捉え方だ。
 
  体をどこかへ運べば、何かが解決することではない。物理的に一人じゃなくなったとしても、やむにやまれぬひきこもりの動機がそのままだったら、先延ばししただけだ。
 
 人生のどこかの時点で、周りとの会話における受け止め方や、やりとりの仕方、自分の固有の感じ方や行動の仕方などに違和を感じる時期がかならず来る。そのとき、社会や集団や周りが求めているものに合わせられない自己を発見し、時間をかけて見つめることの価値はとても大きい。
 
 価値は大きいが、苦しい。自分固有の感じ方を基に自分で対話するのだから、一人ぼっちになってしまったような気がする。しかし、ほんとうは一人でないことがわかる。感じ方は、やはり一人一人固有なものだが、個に立脚した人間同士でつながり合っていることをあらためて発見することができる。そこに、真の「個立」「個独」と真の多様性とが合致する場所がある。
           (「ひきこもり」考・おわり・鮮)