ふつうの人間観に立ち戻るべし 
 
 
  富山交番襲撃事件の、動機や詳細はまだよくわかりません。ただ、襲撃が近くの小学校も対象だったとしたら、背筋が震える思いです。
 
 この事件の島津容疑者(21歳)にかかわる情報第一報として、「中学以降、父親から暴力を受けていた」「家の外で井父親から首元をつかまれて引っ張り回されたり、口から出血したりしたことが複数回あった」「卒業後も父親から暴力を受け、家の中から奇声が聞こえた」などの情報が寄せられているようです。(中日新聞、6月29日付け)
 
 さて、「新幹線車内殺傷事件」の話です。やはり、凶悪事件を起こすのは、発達障碍ではないと思います。
 
  「ダイヤモンド・オンライン」にて草薙厚子氏が、「感情を抑制出来ない発達障碍」というラベリングで事件を論じていますが、発達障碍を有する人であれ、有しない人であれ、感情を抑制出来ないような状態になるというのはよほどのことです。それは、発達障碍に内在する因子などではありません。人と人との関係のなかで起きることであり、その都度「感情」の元をよく聞き、ほぐすことが必要でしょう。
 
 むしろ、凶悪事件に関与する割合は、定型発達者より発達障碍者の方が少ないというデータがあります。
 
 小島容疑者の場合、中学2年のときに「水筒事件」がありました。お古の水筒をあてがわれた小島容疑者が、深夜に包丁と金づちを投げつけたというものです。ふつうは、「そこまで感情的にならない」というのがふつうの人間観であり、ことほど左様に「感情を抑制出来ないのが発達障碍だ」という偏見があります。「水筒事件」は、当人が「また、今回もそうなのか」と感じざるをえない経緯があったのではないかと思います。また、親は警察を呼んで、もっとこじれていったのではないかと思います。
 
 中学生の時期を過ぎて、「社会に復讐したい」という思考が表れて来るのは、その偏見が等身大の半径ばかりでなく幾重にも重なっているのを感じて絶望的になるところから発するのではないかと思います。
 
 一つの意見です。(鮮)