「父である」と「父になる」 
 
 
 是枝裕和監督による映画『万引き家族』が、カンヌ映画祭パルムドール賞(最高賞)を受賞したのをきっかけに、この映画を観に行きました。また、『そして父になる』もあらためて観てみました。
 
 映画『そして父になる』は、6年前に病院で出産したわが子が、実は取り違えられていた事実が判明することから始まるドラマです。
 
 いきなり、本題に入ります。というのは、両親(野々宮良多・みどり…配役・福山雅治・尾野真千子)病院から呼び出され、長男・慶多と「生物学的親子でない」診断結果を伝えられた後、『やっぱり、そういうことだったのか・・・』とつぶやくのです。
 
『やっぱり、そういうことだったのか・・・』
 
 そのつぶやき『やっぱり・・・』とは、何なのか。思わず、そうつぶやく主人公(良多)、それに対してその言葉に反撥する妻(みどり)。物語開始直後から、この作品を貫くテーマが登場します。それは、「生物学的親子」か否かを超えて、私たちそれをどう受けとめていくか、浮かび上がらせていきます。
 
 主人公・野々宮良多は、一流大学を出て、一流企業のエリートとなり、「ホテルのような」マンションに住み、長男・慶多に英才教育を行い、ピアノも習わせている。ところが、思うようなレベルにならない。その良多の思いが、『やっぱり・・・』でした。
 
 妻・みどりは、『やっぱりって何なの? 貴方の言葉、一生忘れられない!』と反撥します。それは、たとえ「生物学的親子」でなくても、この6年間、私たちは「親子であろうとしてきた」のではないのか。(そういう具体的なセリフがあるわけではないが・・・)
 
 映画のタイトルは、『そして父になる』です。是枝監督のこの映画は、「父ある」と「父なる」、つまり「生物学的親子」と「共に暮らす親子」、「血のつながり」と「日々培うつながり」とを浮かび上がらせているのです。(つづく・鮮)