過去に遡って未来をたぐり寄せる
 
 
 「新幹線車内殺傷事件」について江原啓之氏が、「誰にも自己承認欲求があるが、これはダークな自己承認欲求だ。自殺して終わってしまったら、誰にも自分の存在に気がついてもらえないからだ。これを防ぐのは、おそらく無理だ。社会全体で考えなければどうしようもない」という趣旨の発言をしています。
 
  ごく普通にある「自己承認欲求」は分かりますが、江原氏の言う「ダークな自己承認欲求」の「ダークな」とは何でしょう。それは、前回までに書いてきた流れで言うと、「受けとめ手の根本欠如がもたらす寄る辺無さ」という暗所からの磁力だろうと思います。それが内へ内へと収縮し、幻の「誰か」への渇望が叶わないと絶望し、やがて「誰でも良い」というビッグバンの一撃として炸裂するのでしょう。
 
 前回からの週刊文春記事の続きになりますが、小島容疑者の実父は「男は子供を谷底に突き落として育てるもんだ」と豪語していたということです。それが、力関係が逆転すると「生物学上の産みの親」の自認へといち早く後退します。「谷底」論にも「生物学上」論にも共通するのは、「受けとめ」の欠如です。
 
 すでに起きてしまった過去に戻って、一人の自己中心的な父親を指弾したところでどうにもならないとは思います。ただ、過去に遡って、そこから見失われていた大切なものを取り出し、光を当て、未来をたぐり寄せる作業はできるし、しなければならないと思います。
 
 それは、宅間守が犯した池田小学校児童殺傷事件から遡り、少年Aによる神戸事件しかり、加藤被告による秋葉原殺傷事件しかりであり、私たちの社会はこれらの過去に遡って未来をたぐり寄せる作業について、まったくの途上であると思います。(小木曽)