「息子を棄てた理由」(週刊文春) 
 
 
 「新幹線車内殺傷事件」について小島容疑者の実父が「週刊文春」(6月21日号・発売は14日)でインタビューに答えている記事があります。
 
 大見出しは、『新幹線殺人犯 実父語る 150分 「息子を棄てた理由」』です。
 この見出しと、実父がインタビューに答えて語る内容で注目すべきは、やはり「息子を棄てた」という箇所でしょう。
 
 記事では、「中2のときに、のちの凶行に繋がる事件が起きる。」と書かれ、実父の言葉を紹介しています。
 
「(子どもたちが)新学期だから水筒が欲しいと。それで妻が渡したんですが、姉が新品で、彼のが貰い物だった。そうしたら、その日の夜中、障子を蹴破って、私と妻が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきて・・・。ここが核心に迫るんですけど、ウチにあった包丁と金槌を投げつけてきたんですよ。殺気はなかったですけど、でも刺されるかも、死ぬかもなぁ、と。だけど見当違いのほうに投げたんで、私からヘッドロックのような形で抑えにいって、十分ぐらい揉みあって、(妻に)『おい、はよ警察よべよ!』と」
 
 実父のこの話を受けて記事は次のように書かれています。
 
「この事件は父子関係に決定的な亀裂を生んだ。父親は息子を避けるようになり、小島容疑者も父親を嫌悪するようになる」と・・・。
 
 私は、実父が語るこの水筒をめぐる話を読んで、前回(6月12日)に想像で書いたことを変更する必要がないと思います。むしろ、実父が「父親としての役割を降りる・降りない」の分岐点で見逃していることがあると思えます。(実父は、自分はこれ以後は「生物学上の産みの親」でしかないと語っています。)
 
 私は、「水筒事件」には、いくつかのポイントがあったと考えます。
①ささいに見える「姉とは扱いが違う」水筒のことも、中2の時点で小島容疑者が感じて来たで    あろう不満や苛立ちに戻って確かめようとしていない
②障子を蹴破って入り、包丁や金槌を投げつける等の行為には「怒り・不満」が見られるもの    の、実際に両親に向かっては「見当違いのほうに」投げ、「殺気はなかった」こと
③これまでにない「怒り・不満」の表明に対して、あらためて聞くのでなく、「私からヘッドロック」   をかけ、警察を呼んでいること
 
  いまあげたポイント3つからは、「受けとめ手としての親」がすっぽり抜けていることが分かります。だから、「生物学上の産みの親」と自認する自分の立場だけが「受けとめ手としての親」から切り離されているのです。私にも苦い経験があり、えらそうなことは言えないのですが、とてもよく透けて見えます。
 小島容疑者には自殺願望があったと言われています。それは、誰にも受け止めてもらえない感覚だったと思いますが、「誰でもよかった」と他者を巻き込んでいく行為になぜつながっていったのか。私たちは、よく考えてみなければならないと思います。(つづく・小木曽)