私有制以前の宝物の夜 
 
 
 堺利彦らと社会主義運動に加わり、のちに民俗学者・柳田国男に師事し、「それからの武蔵」「彦一とんち話」などを書いた小説家・小山勝清が『盗人晩』(ぬすっとばん)という奇妙な題の短編を書いています。(こやまかつきよ・1896~1965)
 
 九州人吉盆地のある村の話です。小山勝清が帰省していたとき、村内で警察沙汰になる事件が起きました。村内の地主が所有する一本のリンゴの木の実がひと晩のうちにごっそり盗まれ、村中は大騒ぎになりました。
 
 その地主は、村民の多くを小作人として扱い勢力家でしたから、警察も大勢が駆けつけるほどでした。地主はたいへんな剣幕でしたが、犯人はさっぱり見つかりません。
 
 作者(小山勝清)は、それを聞いて「私は何かをチラと感じて、思わず立ち上がり、柱にかかっていたカレンダーを見た」のです。
 
 旧暦の9月17日。間違いない! 作者(小山勝清)が少年の頃に体験して以来、もう数十年も途絶えていた『盗人晩』(ぬすっとばん)が復活したのでした!
 
   『盗人晩』とは、その夜に限って、野菜や果物を自由に盗むことが許された、不思議な一夜だったのです。
 
 作者(小山勝清)は森に足を踏み入れ、その奥に潜んでいた村の少年たちとリンゴの山を見つけます。少年たちは、事が大袈裟になって身動きがとりづらくなっているようです。そこで、少年たちに「心配しなくてもよい」と伝え、ただ「誰がこんなこと教えたの」と聞きます。少年たちが言うには、それを教えたのは村の年頭の左七老人でした。
 
 作者は左七老人を招いて訊ねます。
「お爺さん、人の物を盗むのは悪いことでしょうか?」
『そりゃぁ、悪いことでさあ』
「盗むのが悪いとすれば、届けねばなりますまい」
『いや・・・今度だけは、違っているんで・・・』
 
 左七老人は、苦渋の表情を見せながらも次のように語ります。
『でな、お前さん。あの盗人晩だって、人の物を盗めというのではない。9月の17日の晩だけ、この土地を開き、立派にしてくれた沢山な人様の魂にお返しし申すのでございます。すると、その仏さま達は、まだ何も持たぬ無邪気な子供達にくれてやるんでござり申す。これでも子供達を助けて貰えますめえか・・・』
 
  こうして、作者(小山勝清)と左七老人との内密な対話を通じてリンゴ窃盗事件は近代刑法においては「未解決事件」となるのですが、作者(小山勝清)は終始ことのいきさつについて「宝物の鍵を手に入れたようだ」として向き合っているのです。
 
 作者(小山勝清)が言う「宝物の鍵」とはいったい何でしょうか。それは、読み手の方々の想像にお任せします。
 
 ただ、私の住む地方にも未だに残っている習俗があります。節句の晩、あるいはお月見の晩、三々五々、忍び足で集まってきた子供達がお供え物を引いて(盗って)いってもかまわないという習わしです。供え物にする収穫物は、自然からの贈り物で、それを子ども等がお腹に入れるのは田畑や自然の魂が子ども等のなかに入るのだということだろうと思います。
 
※「子どもの風景」というジャンルにて、さまざまな場面における「人間の原型」としての子どもの姿を探っていきたいと思います。小木曽眞司