苦手を課題として
 
 久しぶりのコラム投稿となります。
 
 今回は、自分自身の課題から出発したある「困り事」について書きます。それは、人の名前を覚えにくいことです。
 
 名前が覚えにくい人の対象としては、特に明確な線が引かれているのではありません。ただ、必要な時と場面のなかで知っているはずで、知っていなければならない名前がすぅっと消えてしまってうろたえることがあります。相手が目の前に居ながら名前が出て来ないので、モゴモゴっと言葉も応対も遅れがちになります。
 
 ここ数年、地域の役員をしていて、役目柄、自分から事務連絡をすることがあったり、宴席で接待したりする時などに、気後れが生じます。
 
 それが実は、老化現象が加味されているだけでなく、思い返せばけっこう昔からだったのです。冷や汗をかきながら、その場その場を凌いできたというのが実情でしょう。
 
 この話をある人にしましたら、「実は自分にもあてはまる」というお返事でした。その人は、
●昔から人の名前がなかなか覚えられない。
●映像として焼き付いていても何かの出来事と結びつかないと顔と名前が一致しない
●仕事上でも時々相手の名前を間違えたりすることもあり、神経を使って疲れてしまう

というようなことを言っています。
 
 私も、およそ似ています。先日も地域イベントがあって、「欠席者は?」と聞かれてとっさに出席している人の名を言ってしまい、それを指摘され赤面してしまいました。
 
 「これは、ひょっとして発達障碍のなかの学習障碍(LD)?」・・・とも思えます。
 
「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」などの一部の能力に困難がある? ということなのですが、性急にこのカテゴリーのなかに入れるのでなく、事実を事実とし、また課題として考えていこうと思います。ゆっくり、ていねいに、人とつながっていくことが大切だと思います。人名を覚えにくいということでなくても、この話が、人と人とのかかわりの中で何か苦手だったり、よく失敗したりすることがあったりする方の参考になれば幸いです。(つづく)
 
 ※今後、当コラム「どこでもドア」における投稿は、投稿者の記名をいたします。当面の投稿は、小木曽眞司です。NPO法人・SISの諸活動に添う投稿をめざすことは前提ですが、書き進めていけばどうしても書き手の固有の書き方になるからです。ご理解ください。(こぎそ・しんじ 元教員)