高岡健講演会に向けて ② 
                                                                 但馬ガ浜にて
 
11月12日に、発達障碍にかかわる高岡健氏の講演会があります。(くわしくはSISホームページ参照)
 
そこで、NPO法人・SIS研修部の意向をふまえながら、「発達障碍」の「碍」の文字について、少し考えてみたいと思います。
 
学校に行きづらい子ども、あるいは不登校状態の子どもの多くに発達障碍が関与している。・・・こういうことが、よく言われます。
 
そして、そのなかで、担任教師が変わって子どもが学校へ行きづらくなった、反対に担任教師が変わって学校に行けるようになったなどの話をよく耳にします。
 
このとき、子どもと担任教師は「相性が良い・悪い」などと簡単に片付けるべきでないと思います。子どもと教師は、「一対一」の関係でなく、子どもは圧倒的に「少数派」です。教師は一人でも「多数派」です。学校体制を体現する存在が、教師だからです。
 
そうしますと、担任教師がかわることによって子どもが学校に行きづらい状態ができたり、解消されたりするのは、「壁」ができたり消えたりすると考えることができます。「少数派」の子どもにとって、教師が「壁」になったり、「壁」でなくなったりするという意味です。
 
「碍」という文字は、「障壁」という意味です。ですから、「発達障碍」を考えるときにも、「障壁」をつくっている周りの環境を調整したりして配慮をしていくことが大切な問題になります。それを怠って、原因を過剰に個人に求めたり、適応を強いたりしないことが大切です。
 
担任教師が変わる・変わらない話は、環境の調整・配慮における人の環境の問題です。環境の問題は、このほか物理的環境、時間経緯にかかわる環境などあります。人間・空間・時間の環境を総合的・多面的に見直していく必要があります。
 
繰り返しますが、「碍」の文字を使う根本のところで、個人に原因を過剰に求め、適応を求める発想や工夫をしていくことが大切だと思います。
 
★公開講座のお知らせです。
発達障碍について理解し、どう接すればいいのかを学んでみませんか?
講師:高岡 健氏の専門的な立場から紐解く当事者の世界とは・・・
相談担当者はもちろん、ご興味のある方はぜひご参加ください。

発達障碍の「障碍(しょうがい)」について
現在一般的に使われている「障害」は、運動会などの競技名「障害物競走」等でも知られるように、他に何らかの害を与えるモノとしてのマイナスイメージがあり、ある意味、外から判断される社会目線の文字として用いられています。
SISでは、当事者目線を大切に、何らかの原因によって日常生活に影響の出るような制限を受け、社会との間に壁があるという意味で、「障碍」の文字を用いています。

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