原作者バリー・モローの巻 
 
 映画「レインマン」は、1988年公開のアメリカ映画。制作会社はユナイテッド・アーティスツで、監督はバリー・レヴィンソン。原作のバリー・モローはロナルド・バスと共同で脚本を執筆した。主演はダスティン・ホフマン、トム・クルーズ。第61回アカデミー賞と第46回ゴールデングローブ賞、さらに第39回ベルリン国際映画祭においてそれぞれ作品賞を受賞しました。
 
 主人公レイモンドのモデルは、キム・ピークを代表とする複数の自閉症者のようですが、私は無名だったバリー・モローが経験したことに注目したいと思います。
 
 バリー・モローは、23歳のときにバーのホステスとして働く妻を迎えに行き、バーがある建物の裏手で上の階の窓に見えるひとりの男性と目が合いました。その男性はほほ笑みながらモローに向かって手を振り、彼も手を振り返しました。翌晩にも、また次の晩にも同じことが起き、それが数ヶ月続きました。
 
 やがて、とある慈善クリスマス・パーティで男性と出会ったモローは、好奇心にかられて彼の身の上話を聞きます。男性の名は、ビル。親に見捨てられ、7歳の時から半世紀近く施設で暮らしてきた知的障害者でした。数本しか残っていない歯、風采のあがらない服装、スプレーでカチカチになった頭髪カツラなどは、施設での放置と虐待の結果でした。(他の重度障害者の発作を報せるために夜勤の職員を起こしたところ、腹を立てた職員がビルの髪の毛を握ったまま階段から突き落とし、頭皮をはいでしまった。)
 
 しかし、ビルは、それまでの境遇にもかかわらず、際だって朗らかな人物でした。施設のなかで会話のできない重度障害者を世話しながら、「いいかい、相棒!」と話しかけていました。それは、モローにも同様で、またモロー自身も妻と共にビルに同情的に接するのでなく、友人としてつきあいはじめます。
 
 やがて、バリー・モローに息子が生まれたときに、ビルは非公式な「おじいちゃん」となり、モロー夫妻の両親とも日曜夜の夕食をいつも共にしました。それから、モローの音楽バンドが演奏するときにはハーモニカ演奏で飛び入り参加し、喝采を浴びました。こうして、ビルは60歳にしてはじめて家族と「メインマン(親友)」を持ったのです。
 
 映画「レインマン」が公開されるのに先立つ1950~1960年代のことです。
 
 私は、バリー・モローとビルとの間には、第三者には言葉では説明できないような「濃さ」と言うべきつながりがあったと思います。傍から敢えて言うならば、「人間への純粋な好奇心」というべきものかなと思います。それが、30年ほどを経て映画「レインマン」をつくりあげた本当の動機かつ原動力だったのではないかと思います。