2つのパニック、明と暗の巻
 
 チャーリー(トム・クルーズ)が思い出そうともしなかった記憶が、レイモンド(ダスティン・ホフマン)のパニックをきっかけとして姿を表してきます。やがてチャーリーは、「金づる」としての「兄」でなく、「レインマン」であるレイモンドと暮らしていこうという気持ちを大きくしていきます。
 
 そこへ、2つ目のパニックが襲います。チャーリーの部屋で、電気の漏電事故が発生し火災報知器がけたたましく鳴り響き、レイモンドがパニックとなるのです。
 
 誘拐まがいの施設連れ出しに加え、四六時中だれかが見守り対応できないことが予想される。これでは、チャーリーがいくら心を入れ替えてレイモンドと生活すると申し立てても、「後見人審査」の結果はNO!です。
 
 レイモンドは、元の施設に戻されます。しかし、まったくの振り出しに戻ったのではありません。チャーリーにとって、見も知らぬ「兄」ではもはやなく、「2週間後に会いに行くからな」という兄であり、かつて「レインマン」と片言で呼んでいたレイモンドであり、離れていても気にかけあう二人になったのです。
 
 さて、2つのパニックの話に戻ります。1つ目は兄弟の心的距離を縮め、2つ目は現実問題としては兄弟の物理的距離を広げる、こういう対比になっています。ストーリー・テラーの巧みさが伺えます。
 
 2つのパニックについて、このまま終わればそれは映画評の範囲ですので、もう少し私たちの立場から考えてみたいと思います。
 
 1つ目のパニック(浴槽バス、ベイビーのやけど)は、暮らしのなかで人とのかかわりから派生し、心的傷害が記憶化されていたところからのものでしょう。
 
 そして2つ目のパニック(火災報知器)は、煙感知が自動的に報知されるという人工的仕組みが顕現し、その突発的な音量に感覚的に怯えてしまうというものでしょう。それは、「人工的」の部分を除けば、自然災害としての雷などと似てくるのではないでしょうか。
 
 1つ目のパニックは、とても人間的な意味を持つパニックであろうと思います。過去が、現在に現実的に顕れるとして、人と人の間に柔らかく着地させ、ともに気持ちを注いで和らげていく、そういう智恵を蓄積したいものだと思います。
 
 映画のなかでは、「過去」が共有されて二人の距離が近づいたのでした。そして、2つ目のパニックは二人の心的距離を近づけこそすれ遠ざけるものでなかったのです。
 
 2つのパニックを通して、私たちが考えるべきことのヒントが映画「レインマン」にあったように思います。