その人の息の区切りで・・・ 
 
 言葉の働きには、《自己表出》と《指示表出》がある。《自己表出》は何かを伝えようとする内部意識の動きであり、《指示表出》はそれが誰かに伝わるかどうかの効果・結果の関係である。そして、《自己表出》は《指示表出》に先行するものである。・・・こういう難しいことを前回に書きました。そもそもの振り出しに戻って、言葉や、言葉をめぐる意思疎通の問題を考えるためです。
 
 私が現役の教員だったとき、最初に担任したMくんが放送局で仕事をしはじめ、永六輔さんのトークを収録したそうです。Mくんは、今や放送界の指導者となって、その永さん収録の経験を材料にして後輩に次のような指導をしたということです。
 
 《録音の区切りは、言葉の句切りではなくて、その人の息の区切りで行うことを大切に!》
 
 私は、この話を聞いて思わず膝を打ちました。素晴らしい!!
 
 言葉が途切れたところで録音を区切るのでなく、その人の息づかいをよく聴いて区切る。それは、言語の発声のみならず、話し始めの意気込みやためらい、話し終わりの余韻や終息感など、目に見えないが表現として表に出されたものを根こそぎ拾うようにしようということです。
 
 前回、《自己表出》《指示表出》について書いたことは、このMくんが培ってきた「話を聴く」エピソードにとても通じるものがあると思います。
 
  その人が話そうとすることは、言葉面(ことばづら)に表れるだけでなく、沈黙や間(ま)もふくめて体のなかで起きていることが表に出てくることです。結果として表現された《指示表出》=社会的に通用する言葉だけでなく、言葉の奥にあるこころの動きとしての《自己表出》に耳を傾けようということです。
 
 放送界のみならず、文化全体あるいは日々の暮らしのなかでMくんが言っているような精神が広がっていくのなら、私たちの周囲はもっと変わっていくことだろうと思います。