原始人で最新型人間・・・ 
 
 
 東田直樹さんの本「風になる~自閉症の僕が生きていく風景」(ビッグイシュー日本・刊)を読み続けながら、自閉スペクトラム症・発達障碍の「いい違い」について継続して考えています。
 
 演出家の宮本亜門さんと東田さんとの対談が、この本の巻末に載っています。そのなかで、東田さんは次のように発言しています。
 
 『今の僕は、“原始人の要素をもった最新型の進化した人間”だと考えています。』
 
 この発言の前後はどうなっているか、見てみましょう。
 宮本さんが東田さんに、「直樹くんはこれまで、自分の驚き、喜び、哀しみを、そう思った時に、どう解放してきたんですか?」と質問し、東田さんは、昔は自閉症であることを悪いことだと思っていたが今は僕の一部だと思うし、望まれて生まれてきたと思うようになった。僕は、自分のことをわかってもらいたいと願うようになった。そう思ったことで、改めて自分は何者か考えると・・・という脈絡の後に、この発言があります。
 
 その後、『原始人の要素をもった最新型の進化した人間』についての説明はされていません。けれども、私は、なるほど、そうかも知れないと思います。
 
 『原始人の要素をもった』の部分は、児童精神科医・高岡建氏が著作のなかで触れられている『人間存在の原型』という概念に似ている気がします。ただし、この概念はちょっとやそっとではこの場では展開できません。くわしくは、高岡氏の著作を覗いてみてください。(「自閉症論の原点」雲母書房)
 
 『最新型の進化した』について、私は次のように考えます。
 先回に紹介した、富士山を見たときの話を思い起こしてください。東田さんは、『何もなかった所に、たった今地面が盛り上がり、山が誕生した』という受け取りをしました。大げさとも思えるけれども、まったくピュアな感覚です。とても新鮮で、何かの概念を持たず、あるがままに受け取る感覚です。
 
 逆に言えば、人間社会がつくってきた概念的受け取り方、意味があるかないかの判断、ものごとを知識として流通する落とし穴などを突き崩す可能性を持っていると思います。