「僕も風になります」・・・東田さん 
 
 東田直樹著「風になる~自閉症の僕が生きていく風景」(ビッグイシュー日本・刊)は、5部構成になっています。
(1)風になり、花や木の声を聞く~僕のこと
(2)記憶は点、僕に明日はない~僕と自閉症
(3)色そのものになって塗る~僕と表現
(4)受けとった幸せをみんなに返したい~生きる理由
(5)地球上に存在する命に感謝~生きていく僕
 
 この5部になっている構成自体が、自閉スペクトラム症当事者の内面と生きざまをよくつかんでいると思います。彼らは、何を考え、何を悩み、あるがままの自分としてどう生きようとしているか、その思いや姿をよくとらえているからです。(とくに、~波線の右側。)
 
  (1)「風になり、花や木の声を聞く~僕のこと」からはじめます。そこに、こんなことが書いてあります。
 
 『僕は、お日様や風、そして砂や木が大好きでした。一緒にいるだけで、心がなごみました。・・・風は、ヒュルヒュル、ビュービュー、走り続けます。肩の上でクルクル回ったり、ケラケラ笑ったりもします。腕を回せば、ここから新しい風が生まれるからです。この時、僕も風になります。まるで、肉体が溶けて空気にまざり、骨が伸びて水飴になったみたいに、僕の身体はなくなるのです。』
 
 自閉症のただなかにいる自分の体験を、とてもわかりやすく表現しています。太陽や風や、まわりの自然のなかにいる時こころがなごむ、そして浸り、さらにからだを動かして一体になろうとする。おそらく、この時まわりのことが目に入らず、時間を気にしなかったと思います。・・・こういうことが、しょっちゅうあった。3歳を過ぎても色濃くあった、と思われます。
 
 東田さんの体験を読み、「腕を回せば~僕も風になります」の部分から『多動症』を想起する方がおられると思います。
 
 また、私が「3歳を過ぎても」と書いたことからピンときた方がおられると思います。それは、発達障碍・自閉スペクトラム症の診断基準が「3歳」を境にしているからです。(この「3歳」の件は、またいつかゆっくり考えたいと思います。)
 
 いまどういう場であり、どういう時間であるのか頓着なしに、好きなことに浸って動き回り、社会性が弱いということになるのですが、どこか私たちのこころがホッとするものがあります。 
 
 「風になって、浸り、動き回る」ようなことは、「意味があるか」と言えば何の意味もないでしょう。けれども、価値はあると言えます。それは、当人がなごんでいること、そして見ている私たちが「どこか懐かしい」と思えることだと思います。
 
 意味はないが、価値がある。このことについて、次回にもう少し考えてみたいと思います。