子どもの皮膚感覚・内臓感覚 
 
 さて、昭和30年代の子どもの遊びを通して4回ほどの連載(「凍った川で溺れかけた子」「『危ない』が日常茶飯事だった遊び方」「野遊びが満開!!~昭和30年代」「「ドラえもん」の世界と『子ども共和国』」)をしてきました。そこで、私なりに考えたことを書きたいと思います。
 
 「ドラえもん」の作者・安孫子素雄氏の言葉から、この人気アニメ製作の原点がわかりました。
『ぼくたちの子ども時代の子どものイメージをよみがえらせて、その子どもの夢や憧れをそのまま描いているだけなんですよ。』
 
  おそらく、安孫子氏らの子ども時代とは昭和2~30年代でしょう。そして、「その子どもの夢や憧れ」とは、ドラえもんが取り出すヒミツ道具につながるのでしょう。それは、よく知られている主題歌に表れていると思います。
 
『こんなこといいな できたらいいな  ♪♪ あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど ♪♪ みんな みんな みんな かなえてくれる ♪♪ ふしぎなポッケで かなえてくれる ♪♪ 空をじゆうに とびたいな ♪♪ 「ハイ、タケコプター!」 ♪♪ アン アン アン とってもだいすき ドラえもん』  (作詞・楠部工)
 
 「空を自由に飛びたいな」という夢や憧れをかなえてくれるのが「タケコプター」で、「いろんな所に行きたいな」をかなえてくれるのが、「どこでもドア」であることは言うまでもありません。
 
 そして、これをどんどんやっていたのが、『昭和のガキ大将』Tちゃんだったのではないでしょうか。フジツルのターザンは「タケコプター」で、水門潜りは「どこでもドア」で、というように夢や憧れを自ら引き寄せていたのではないかと思います。
 
 ・・・ということは、逆に考えると、「ドラえもん」の世界は不変だと思います。一見して『子ども自治共和国』が見えなくなり、原っぱ遊び・路地遊び・野遊びが消滅したかに見える現代にあっても、子どもの内側にしっかりと存在しているのではないでしょうか。
 
 その、「子どもの内側」は、皮膚感覚・内臓感覚ではちきれんばかりです。「むむっ」「うひゃ~」「おっ」「ん~むむ」「うっしし~ぃ」等々、言葉以前に発せられる「子どもの内側」に耳を傾けることがとっても大事なことだと思います。(終わり)