自宅出産と近所の産婆さん 
 
 母の死をきっかけにして、さまざまな角度から人生・ライフサイクルを取り上げるコーナーを考えてみましたが、かんたんには事が運びません。ライフサイクルの断面としては、誕生・成長・修学・就職・性と恋愛・婚姻・余暇と生きがい・老いと死など、どれ一つをとりあげても膨大で多面的ななかみがあります。そしてまた、一人の人間にとって誕生から死までの物語のなかには語り尽くせないなかみがあります。
 
 それで、ちょっとした話からはじめてみます。
 
 母は、91年前に生まれた自分の家から旅立って仏様になっていきました。母が家で生まれた時に出産を手助けした「産婆さん」は、近所の小母さんでした。その小母さんは、私が生まれる時にも私を取り上げ、私の妹も弟も取り上げました。
 
 そして、取り上げた部屋は全部同じ部屋でした。家の奥の部屋で、そこには筵(むしろ)が敷かれていました。どうして覚えているかと言うと、末弟が生まれた時に誰かから親戚に「産まれたと報せて来い」と言われ、目の端に筵が入った記憶があるからです。
 
 記憶違い、かも知れません。筵は、本来の農作業で使う以外では、葬儀の野辺送りにて通り道に敷く覚えがあったので、産室に存在するのが奇異に思えたのです。
 
 これは、昭和30年代の話です。さて、そこで、次のようなデータがあります。
 
      1955年  82,4 パーセント
      1965年  16,0 パーセント
      1975年   1,2 パーセント
 
 何のデータかというと、わが国の「自宅出産率」です。2017年の現在からすれば、1955年の自宅集散率の高さは信じられないものでしょう。それから、1955年から75年までの20年間の激減の仕方も同様でしょう。
 
 末弟の誕生までは、この82,4%のなかに数えられます。家のなかで誰かが湯を沸かすために動き回り、ふすまの向こうからうめき声が聞こえ、やがて火がついたような赤子の泣き声が聞こえてくる、台所や土間に居た人のホッとした笑顔に釣られて子ども等もはしゃぎまわる・・・
 
 「誕生」をめぐる物語の変化は、さほど語られているわけではありません。しかし、日本人の長い歴史のなかで、とても大きな変化だったのではないでしょうか。