同じ空気を吸う私たち・・・ 
 
 担当者の都合により、コラム投稿の間が空いてしまいました。
 
 肉親の危篤、臨終、葬儀、その後のあれこれと、パソコン環境を確保できないことからとでした。
 
 大切な肉親の最期に立ち会うことができました。高齢なこともあり、一切の医療的、補助的処置を廃していました。保健師の方から、末期に呼吸の仕方がかくかくしかじかに変化していくと言われました。まさしく、そのようになっていくことが見て取れました。
 
 けれども、いつか、そのような説明・予測に沿った看取りはどこかに飛んで、弱まっていく一呼吸一呼吸ごとに自分の手はすべなく足掻いていました。これは、後から思い出してのことですが。
 
 そして、ほんの少し、けれどもしっかりと息を胸に吸い込んで、動かなくなりました。これも、後から思ったことですが、私たちと同じ場の空気をからだに入れて旅立ったのだと思って、傍にいる誰かが「ありがとう」と言うのは本当だなと思いました。
 
 こんな私的な話を書いて、申し訳ありません。あるがままの生命の力で最後まで生きたということでは、天寿を全うしたということかと思います。以前に紹介した絵本「のにっき」のように、骸(むくろ)の後にやがて草花が咲くのでしょうか。
 
 6ヶ月余前、いきなり刺されて多数の方が亡くなった相模原の出来事は、その実行者の体を借りて、どこから来たのだろうかと思います。日常のなかに潜んでいたのでなければ、
絵空事のことでしかありません。芹沢俊介氏のインタビュー記事を、もう一度読み返してみたいと思います。