「隔たり」に、どう向き合うか  
 
 『私は幼い頃から「話す」という行為にままならなさを抱えている。「話す」と「聞く」のやりとりが生じている集団の中にいる時、私は私を感じられず、自分の存在が消えると感じてきた。』
 
 こう書いているのは、綾屋紗月(あややさつき)さんです。東京大学で当事者研究を進める方で、「発達障害当事者研究」(医学書院)等の著作者で、アスペルガー症候群の当事者として発言されています。紹介する文は、「そだちの科学」(日本評論社)2011年10月号「アスペルガー症候群のいま」特集号より。
 
 綾屋さんは、集団の会話のなかで「意味のわかる情報として話を聞くだけで精一杯になってしまう」と言います。
 
 どういうことか、私なりに考えてみました。・・・小さい子どもにゆっくり、語りかける話し方と違って、おとな同士の会話はスピードが速く、「意味」を互いにキャッチし、おまけにノリに乗ってやりとりしたりすることが多い。そこでは、「意味」を把握すること自体が手間取る。まして、自分が考えたことや思っていることを、その場にふさわしい話し方に調整・変換して話そうとすると間に合わなくなってしまう。間に合わせようとすると、緊張ばかりが先立ってしまう。自分のあるがままの姿で会話するのでなく、「空気を読み過ぎて」しまう・・・。
 
 とっても、よくわかる話だと思います。自分にも覚えがありそうです。
 
 「意味」は、会話の脈絡のなかにあり、ものごとの連関のなかにあるのですが、そのままでは見えません。頭脳をフル回転して、「つかむ」のだと思います。それが、「つかみにくい」となると、その場に合わせた「振り」をするか、そもそもそういう場に近づかないようにするかなど、無理をする、孤立するなど、「私の世界」と「私の周りの世界」との隔たりに悩まされることになります。
 
 そのなかで、綾屋さんが見つけた「隔たり」をやわらげるヒントについて、次回に書きたいと思います。