鴨長明「方丈記」と『素っぴんの自分』 
 
 
 
 東日本大震災以後、鴨長明「方丈記」の読者数が静かに広がっていると聞きました。相次ぐ天変地異や国内外の政情不安定が引き金になっているだろうと思います。東日本からはじまった震災は、さまざまな数字データでは言い尽くせない爪痕を残しています。また、アメリカの大統領にトランプ氏が就くことになって、これは何かがはじまるのか、それとも何かが終わってしまうのか、先が見通せない時代です。
 
 作家・三木卓氏による平明な現代語訳につられて、「私の方丈記」(河出文庫)を読んでみました。下記は、その後半の部分です。
 
 『ときにはお念仏をとなえるのもめんどうくさく、お経にも気がのらないときがある。そういうときは自分で休みときめ、なまけることにしている。
 ひとり暮らしだから、それはいけないという人もいない。見られて恥ずかしいという人もいない。ひとりだからだまっているだけで、わざわざ無言の行をしているわけではないが、そのためよけいなことをいう、という舌の罪は負わないでいられる。戒律をしっかり守ろうと努力しなくとも、ここにはわるさをするきっかけがない。それでやぶりようがないのである。』
 
 三木氏は、「自分一人の空間で自分勝手にふるまう、ということは、つまり自分を意識しない自分になっていること、である。そういう時間はだれにとってもなければならないものである。」と書いています。
 
 ごくかんたんに、自己流にて言い換えます。
 『素っぴんの自分が手元にある』ような時間は誰にとっても必要だ、ということだろうと思います。
 
 不登校やひきこもり、またうつ病、そしてさまざまな障害などの問題を考える際にも、大切なことだろうと思います。