二重の「引き算」で追いつめる??
 
 
 
 
 「ひきこもり支援」をテーマにした集会があり、参加したときのことです。農業体験を取り入れて「就労」につなげていく支援団体の方が、次のような発言をされました。
 
 『何人かの青年に、大豆でやるかトマトでやるか、他の素材で体験してみるか聞いても、声は小さいし、おどおどしているし、満足に自分の意思を伝えられない。まるで障害者みたいだ。いっそのこと、申請して障害者手帳をもらってやっていったほうが良いくらいだ。こんな実態が正直なところだ。でも、まぁ就労支援は続けていくが・・・。』
 
 この方の考えている「ひきこもり支援」なるものが、とてもよく透けて見えると思います。特別に珍しい考え方ではなかろうと思います。そして、そこが問題なのです。
 
 『一定の年齢になっているのに、仕事もせずにひきこもっている』
 『すぐさま急に就労するのは難しいだろうから、体験的な場を設定して選択肢も与えてこちらから尋ねているのに、満足に意思を表せられない』
 
 ここにあるのは、二重の「引き算」思考です。
 1つ目。「いい年してるのに、仕事ができない」
 2つ目。「何とかカバーしようとしているのに、意思を示せない」 
 
 1つ目にも、2つ目にも、「○○なのに、△△だ」というように、「のに」前後で線を引かれ、「できない」と査定する「引き算」をしています。
 
 そもそも1つ目が「引き算」の発想で、その前提に立って2つ目の問いを迫るのですから、青年は追いつめられ寡黙にならざるを得ないのです。
 
 「支援」って、何でしょうか。「支援」を講じる側の自己満足ではないでしょうに!!