存在にかかわる脅威 
 
 
 大津のいじめ自殺事件から5年。その後も、いじめによる自殺は無くなっていません。いったいどんないじめ行為があったのか。明らかになっているその実際の例を、少しだけあげてみます。
 
・プロレスごっこの投げられ役 ・学校の校庭で大声で歌を歌わせる(1986年、東京都中野区、男子中学生の自殺事件)
 
・たばこの火を押しつける ・自慰行為を強制(女子生徒の前で避妊具をつけさせる)(1994年、愛知県の中2男子生徒自殺事件)
 
・口を粘着テープで塞ぐなどの虐待 ・虫の死骸を食べさせる(2011年、大津いじめ自殺事件)
 
・「汚い」「臭い」「近寄るな」「プールがばい菌で汚れる」などの罵詈雑言(2010年、群馬県桐生市の小学6年女児自殺事件)
 
・ひざでおなかをなぐられていた」、「けられたり、なぐられたり、足を洗うところで雑用に使われたりしていました」(2013年、奈良県橿原市中1女子自殺事件。目撃情報)
 
・砂をかけられたり、殴られたり、髪の毛をつかんで顔を机に打ち付けられていた(2015年、岩手県矢巾町中2男子自殺事件。目撃情報)
 
 例をあげていくほどに、滅入ってきます。存在にかかわる脅威だと言えます。
 
 ひとことだけ、私なりの言い方にて申し上げます。
 
 『お前は、こういう扱いを受けても構わない存在だ』・・・
こういう、通常は超えない『一線』を超えてしまうものが根にあると思います。その『一線を超えてよい』が、なぜ、どこから生まれるのか。その根に届かないと、いじめは無くならないと思います。