感覚は世界とこころとの「出合い」器官 
 
 
 自閉症だったドナ・ウィリアムズも東田直樹さんも、幼い頃から触覚、聴覚、視覚、味覚、臭覚、そして身体感覚、総じて「感覚」世界に引き寄せられることが常であったと言います。
 
 そもそも、「感覚」とは、生命ある生き物が外の世界を知り、交流する「出合い」器官です。世界との「出合い」によって生き物のこころが動く・・・だとすれば、「感覚」はこころの「出先」器官とも言えるでしょう。
 
 動物も「感覚」を持っています。そして、それぞれ人間が及びもつかない「感覚」の働きを持っています。アフリカの草原に棲む草食動物は遠くの物音を聞き分ける聴覚を持ち、猫科の大型動物は遠くの獲物を見分ける視覚を持つ、というようにです。
 
 ただし、彼ら動物にとっての「感覚」は、あれは獲物の姿か、それは危険な敵の足音かなど、あらかじめ本能に組み込まれ、その後の行動に直結する「出先器官」です。
 
 その点、人間の「感覚」は、「敵かどうか」「逃げるか否か」「食べられるか」などの生命保存活動から自由度の高い「出合い器官」でしょう。
 
 人間は、世界にあるものを「愛でる」「味わう」ように交流するのです。
 
  ひょっとして、この世界と生き物をつくった造物主がいるのなら、この世界そのものを愛で、味わう生き物を造りたかったのかも知れないと思います。
 
 発達障害を考えるときに、こうした世界と人間のことについての原点をよく見つめてから考えてみたいと思うのです。