「置き去り」は是か非かの、その前の話
 
 
 5月の終わりから6月のはじめにかけて、メディア(新聞、テレビ報道)で連日取り上げられ、小学校2年生男児が無事に保護されて解決を見た事件……函館「しつけ」置き去り事件のことは、ご記憶に残っておられようかと思います。
 『北海道で小学2年Y君(7歳)が行方不明になり、6日ぶりに無事保護されたが、不明になったのは、父親が「しつけ」としてY君を置き去りにしたことが発端とされる』事件のことです。
 
 事件をうけ、ツイッター上でも
  ・自分も幼少期によく親に怒られては置いて帰られていた
  ・長女があんまりわがままが酷くて車から下ろして置き去りにしたことがある
  ・私も妹も言うこと聞かなくて夜に山連れてかれた

といった「告白」が相次ぎ、「しつけ」のために「置き去り」が広く行われていることが想像できます。
 
 「しつけ」とは、「思い知らせてあらためさせる」ことですから、「置き去り」のような恐怖心に訴える方法は出てくるでしょう。
 
 私は、ここで2つのことを考えたいと思います。
1つは、「恐怖心に訴える」やり方は、大人の不安の裏返しではないかということ。大人が、待てずにとってしまう行動ではないか。
 
2つ目は、この事件について「置き去り」の是非に話題が集中したけれども、その前の話が抜けているのではないか。
 
 「その前の話」というのは、Y君が「人や車に向かって、石を投げていたから」「何度言っても言うことをきかなかったから」が発端だったことにかかわる話です。(つづく)