ぴぽぴっ、ぶばぱっ、ちぴぽっ・・・
 
 
 小川の流れに向けて、小石を投げてみる。水面にあたって沈む音が、その都度違って聞こえる。たとえば、10回投げたとしてみて、それをここに表してみると・・・ぴぽぴっ、ぶばぱっ、ちぴぽっ、ぷりるっ、ぴちぱっ、どぷぼっ、ぱぼっ、ぶひぽっ、びばっ、ぶびょ・・・。
 
 文字にして書きますと、かようにまことに奇態なことになります。そして、いずれもが当たらずとも遠からじに思えつつ、同時に似て非なる感じがします。それはそうでしょう。文字というのは言葉を表記するために社会習慣として用いられる記号であり、人間界における交換性を原理とするものでございまして、一回性かつ一過性の自然現象に対応する成り立ちではないのですから。
 
 強いて言えば、この文字表記は擬音語・オノマトペアがふさわしいと思います。
 つまり、自然がもたらすこと、自然の中に潜んでいることは奥深く、文字や言葉の分節からこぼれ落ちるものばかりでありまして、正確に表記できると考える方がおかしいのです。
 
 古今東西、人は、このこぼれ落ちるひとときに浸ってみたい欲求を、いつも胸に秘めているのではないでしょうか。ただし、子どもは、秘めているどころか年がら年中「旬」として表している生き物ですね。冒頭、繰り返して小川に小石を投げ込んでいたのは、2歳の子ども。それに付き合っていたのは、子ども時代に遡行したがっているおじんの私なのでありました。
 
ぴぽぴっ、ぶばぱっ、ちぴぽっ・・・
 
※「観・感・閑々」(カン・カン・カンカン)とは、「ゆったりと見たり感じたりする」という主旨の造語です。