「受けとめ力」がやせ細っている?
 

 『事件が起こる前に、植松容疑者に「気持ちは分かるよ」と言って受けとめる人がいれば、違った結果になったのではないかと思う』
 東京大学準教授の熊谷晋一郎さんは、このように発言しています。(中日・東京新聞より)熊谷さんは、脳性まひにより常に介助が必要な方で、障害者の「当事者研究」をテーマとして研究されている方です。
 
 えぇっ、障害者は社会のお荷物なんだという極論を持ってはばからない奴の考えを受けとめるのか? という感覚があるかも知れません。前回に書いたような、目線の高さが気になって心がヒリつくかも知れません。
 
 でも、私たちの胸底の「どこかの場所」または「いつかの時点」に「障害者はお荷物」感覚がチラッとよぎったことはあるのではないでしょうか。
 
 その「チラッ」に性急なフタをせずに、じっくりと見つめ、まとめあげていくことはお互いに大事なことではないでしょうか。
 
 これは、植松容疑者の周囲に居た人を非難しているのではありません。そうではなくて、自分もふくめた私たちの社会のなかに、「耳で話を聞く」ことから「心で相手の意見を聴く」ような「受けとめ力」がやせ細っているように思えてなりません。