耳の聴こえない絵描き
ソルト/Shiori Ueda
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【乞眼のバラモン】の話を出したので書く。長いよ。
わたしは神道であるけれども、母校が仏教学校だったので仏陀の教えにも馴染みがある。
仏陀の教えを記した経典スッタニパータやウダーナヴァルガ、ダンマパダのことばは現代においてなお心に刻むべき教えが多く
それだけ何千年が経とうともひとの本質が成長していないということでもあるのだけど…
この【乞眼のバラモン】の話はこんな感じ。
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何年も何年も修行を続けているシャーリプトラという修行者がいた。ある時バラモン(司祭)がシャーリプトラにあなたの眼が欲しいと乞うた。承知したシャーリプトラは片目をえぐり取って差し出したがバラモンはそれを臭いと捨て、怒ったシャーリプトラはこれまでの長い修行を捨ててしまった。
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この話の教訓は少し難しいところにあって、シンプルに考えれば「見返りを求めるな」だけど
実のところ「自業自得」にあると思う。
自業自得は、自らの業(わざ=やったこと)を自ら得る、ということ
「眼を与える」と自ら決めたのだから、どうあれ自らの業により自ら得た結果にすぎない。
つまるところ「断る」という選択もできたし、「怒らない(結果を受け入れる)」という選択もできた。
「怒らない」といえばこんな話がある。
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ある異教徒が仏陀のところにやってきて延々と罵詈雑言を浴びせ続けた。全てを静かに聞き終えた仏陀は異教徒に、贈られた物を贈られた側が受け取らなければその贈り物は誰のものになるかと尋ねた。異教徒は答えた。「贈り主のものだろう」
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これは【智恵ある者に怒りなし】の話。
“智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも心の中に波たたず。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚か者のしわざなり”
怒るなという話ではなく【受け取らない選択もできる】という教え。
仏陀の教えの全ては【自灯明 法灯明】にある。
自らの手にある灯し火を頼りとせよ
自らが知る法(真理)の明かりを拠り所とせよ
その手に持っているろうそくの火が大きければ大きいほど見える範囲は広く、そのろうそくによって照らされる真理の範囲が広ければ広いほど、生きるための選択肢をどこまでも広げていけるということ。
別々の話であるけれども、全ては繋がっている。大地の中に張り巡らされた木の根を想像するといい。
大地の養分(知恵)を吸い上げ、幹を通って豊かに枝葉を広げていく。
根が広がるほど、地の広さを知る。
枝が広がるほど、空の広さを知る。
世界樹だね。
わたしたちはそうした生き方も選択できるということ。
ほかにも多く伝わる仏陀の話(エピソード)は知れば知るほどハッとさせられるよ。
興味があれば調べてみて。
手塚治虫大先生の【ブッダ】も良書なので知らないひとはぜひ読んでみて。
(文/ソルト)