今日はコンビニコーヒーにカップをセットすると、何度もエラーで、カップをセットしなおしてくださいと出たしろくまです。し直してもダメなので隣のサーバーにしました。
バス停のある
南越前町最初の集落を歩きます。山あいの集落なので、耕地は少なかったです。これは南越前町のマンホールなのかな。おすいとしか書いてないのでよくわからない。大桐という集落です。万葉の道べというのは、昨日の記事に書いたように、杉津からの道が奈良時代に開かれたために付けられた名前のようです。その横にある写真。
おっ、さっきの(マンホールの上の写真)の集落が写ってません???ここを北陸本線が走っていた証拠ですね。青森~大阪を結んでいた特急白鳥です。大桐の集落からは道は2車線になりました。道の端には
木の棒が建てられていました。雪の多いところではよく道の端に赤と白のポールが立っていたり、電信柱に道の端のしるしの矢印があったりしますが、ここでは単なる棒でした。でも、冬には結構雪が積もるところのようです。ほら、ここにも棒が立っている。しばらく歩くと、大桐駅跡がありました。今でもホームが残されているんですね。
説明によると、この駅にもスイッチバックがあったようです。D51の動輪と当時の写真もありました。
信号も当時のものがありました。それにしても、
長いホーム。今は桜の木が植えられています。旧大桐駅を過ぎると、
またまた工事中の場所。県道は通行止めになっていたので、迂回路を進みます。その先には、
北陸道の高架が見えました。杉津付近では上下線が分かれていましたが、その先トンネルになっていて、
川沿いを進みますがその先に次の集落が見えてきました。
この集落、大桐集落と比べると、
少し大きい。道沿いに、
上新道集落。ここは駅ではなくて花壇のようでした。説明によると、平安時代になって、敦賀と今庄の間に木の芽峠を越える新しい道ができ、その道と山中峠を越えた道が出会う場所がここ、上新道集落だったようです。なので追分の里なんですね。上新道という集落の名前も、どうやら新しい街道に由来しているようです。上新道集落をぬけて
さらに進んで行きます。もう次の集落も見えている。川を渡ったんだけど、こんなに低い欄干、というかガードレールでいいのか。ちょっと危険な橋。おっ、おもしろい
なぜにお地蔵さんの祠の前に衝立があるのじゃ。雪除けなのかな。次の集落の入り口には、
下新道。そして、この辺りで、前方に見えたんですよ。走っている電車が。しばらく歩くと、
北陸トンネルの出口です。ちょうどその時、
トンネルから出てきた特急電車。翌日から新幹線が開業なので、ここで見られるのはこの日が最後です。
前日、北陸トンネルの敦賀側の出口に寄りましたが、そこから旧北陸本線跡を歩きました。坂を上り、たくさんのトンネルをぬけて、そして、ようやく今庄側の出口に到着。ほどなく、
駅の待合室代わりの建物なのかな。
この辺りの絵地図もありました。
さてさて、この日はここをゴールとします。
時刻は、
まだお昼になってないね。
約21000歩。15kmの歩き旅。次の日が仕事なので、この日は早く家に帰りたい。疲れも残さないように距離も短くしました。でも、上り坂が多くて、結構大変でした。筋肉痛は残らなかったけど、次の日は腰が重かった。でも、旧北陸本線跡は、鉄オタの端くれ、しろくまにはとても興味深く楽しい旅になりました。金沢まで来まだ遠いけど、まぁ、二日間で45km近く歩けたから、良しとしましょう。
そうそう、南今庄駅、
最後の特急の雄姿を撮ろうと鉄オタさんが10人以上いましたよ。
この後は、11時51分発の電車で北陸トンネルを通って敦賀へ。お昼はおさかな街に寄って、
海鮮丼を食べて帰ってきました。
完