最後のトンネルを越えて嶺北地方に入ったよ。 | しろくまおやじのブログ

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昨日、電車を降りて雨季の階段を3段上った時に傘を電車に忘れたことに気づいたしろくまです。駅員さんに言ったら、調べてくれて、出てきました。今朝取りに行きました。深緑色で、骨が24本。ジャンプしないと特徴がわかりやすくてよかった。

 

さて、北陸本線廃線跡、

次のトンネルです。

山中トンネル。今回の廃線跡で一番長いトンネルです。トンネルの手前には、

なんて書いてあるんだろう。書いたのは第2代総理大臣黒田清隆なんだって。おっ、トンネルの上、ちょっと崩れてる。このトンネル、長いのですが、一直線。出口が見えてます。そしてもうひとつ、

漏水が激しい。喝を射した方がいいようなところもありました。壁はきれいにレンガ積み。そうそう、長さはやく1100m。歩いていると、

出口がだんだん遠くなるように思いました。10分以上歩いたかな。ようやく、

出口。こちらは苔が生え放題でした。そしてこちらにも、

黒田清隆。トンネルを出たその横にトンネルがありました。このトンネルは行き止まりらしいです。この場所に信号所とスイッチバックがあったようです。この辺りが信号所かな、トンネルの上から、道が1本降りてきていました。山中峠。奈良時代に若狭と越前を結ぶ街道が開かれたということです。ということは、若狭から、越前に抜けた。嶺南から嶺北に抜けたということです。地名で言えば、敦賀市から南越前町に入ったということ。杉津から続いていた上り坂も、ここからは

下りになっていました。山の上からは滝のように水が流れていました。山中信号所の待機戦の跡地がありました。その跡地を

上に見ながら下っていきます。待機線は勾配がきついと、止まってしまうと発車できないので、ほぼ水平に作られています。たので、だんだんと本線から離れて行くように見えます。歩いていると、重機の動く音が聞こえる。

谷の川の工事をしているみたい。わぁお、路肩が結構崩れているじゃん。河川改修が結構行われていました。むむむっ、これはどうやらディーゼル式の発電機に給油をしに来た車みたいでした。廃線跡は険しい山と、谷の間を走っていました。山側の、

このコンクリートも鉄道遺構だね。

かなり大規模に工事していました。今はこんなに青空が広がっているけど、大雨の被害があったようです。道もかなり崩れたみたい。

この辺りは特にひどかったのかな。

工事現場の横を歩きます。時々ダンプがよこをとおります。工事現場のそばをかなり下ってきたかな。ようやく、南越前町に入って初めての、

集落が見えてきました。

 

つづく