久々に、連れ合いと1泊2日の旅に出たしろくまです。ホテルは予約していましたが、何処に立ち寄るかは全く決めずの行き当たりばったり旅。
4日、朝、自宅から車で山陽道を西へ。ナビは旅行雑誌を広げた連れ合い。私は去年の3月。連れ合いは今年の3月で、とりあえず退職なので、退職記念ツアーです。車で走りながら、二人が気になった場所へ。
岡山JCTから岡山道に入り、吉備高原を抜けて、そこからは西へ。山の中の道を走り、たどり着いたのは高梁市吹屋というところ。標高500mを越える山の中にある集落。
吹屋ふるさと村です。かつて銅の産出とその副産物である弁柄で栄えた集落。
弁柄とは、酸化鉄から造られた赤茶色の顔料です。ジャパンレッドとも言われているその赤色は有馬温泉の金の湯に似た色。日本で作られる前、江戸時代にはインドのベンガル地方のものを使っていたようで、ベンガルがなまって弁柄と呼ぼれるようになったとか・・・・。もちろん二人ともこの集落に着くまではそんなことは全然知りませんでしたが・・・・・。
駐車場で車を降りて、集落へと入ります。
赤い石州瓦に弁柄を塗った柱。そんな街並みが続いていました。懐かしい
街並み保存地区ではあるのですが、弁柄の街だから観光のために赤く染めたのではなく、江戸時代や明治に造られたままを保存しています。の木に唐辛子の干してある家。
こちらは干し柿が吊るしてある。普通に人の住んでいる家です。
もちろん観光地でもあるため、
こんなものも置いてありました。でもお代は缶の中に入れてねって書いてありました。郵便局も、弁柄。これは郵便局前のポストです。
街道の宿場町のようなたたずまいですが、ジャパンレッドの家並みはなんだか不思議な気持ち。
高梁の酒蔵のお酒がいっぱいありましたよ。
学校があるというので行ってみました。その途中に、
小さな小屋が一つ残っていました。周りは竹林になっていましたが、この辺りにかつての銅山の工夫の住居が立ち並んでいたとのことです。
せっかくなので入ってみることにしました。
黒板。ちゃんと日付が1月4日になってました。黒板には吹屋の街並みの地図と説明書きがありました。懐かしいオルガン。窓の鍵、渡真利小学校時代と同じ昔の鍵ですね。隣の教室は、
令和2年に日本遺産に指定されたようです。これはどうやらトイレの後みたいです。
講堂がありました。ここで指揮をしたんでしょうね。演台もありましたよ。
こちらの教室の机は新しかったです。ランドセルはひと時代前の赤と黒。窓から
今の吹屋小学校が見えました。こちらも木造で歴史がありそう。
昔の玩具も展示してありました。そして、
どんな所か全く知らずに訪れましたが、山の中に現れた突然の街並み。弁柄のことも知れて、行ってみてよかったです。また行きたいと思いました。でも、予定になかった分、遠回りしちゃった。
吹屋からは南へと向かいました。
つづく