1.17 | しろくまおやじのブログ

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1.17。今日は特別な日です。
震災当時、20歳だった消防士さんの話を
聞くことができました。

地震とほぼ同時に、消防署へ呼び出され、
自分の家が半壊だったにもかかわらず、
消防署へ向かったそうです。
そして、すぐに人命救助に行きます。

人命救助。人命優先。
声を掛けたときに、声や、反応が返ってきた人を
助けることが任務です。
家族の方が、
『この下に家族がいる。助けてくれ。』
と言われても、声を掛けて反応がなければ、
次へ行かなければなりません。

『見殺しにする気か。』
『この人でなし。』

背中に浴びせられる罵声に、
『すんません。ごめんなさい。』
泣きながら、次へ行ったそうです。
そんな現場をいくつも通り過ぎ、
たどり着いた先には、マンションがありました。
1階部分が倒壊してしまったマンション。
朝から人命救助を続け、もう夕方の4時だったそうです。

声を掛けると、13人くらいの生存が確認できた。
早速救助開始。
でも、がれきが邪魔をしてなかなか救助できない。
がれきを押しのけて、人一人が匍匐前進できるくらいの
通路を造るのに、2時間。
やっと、救助を開始して、助け出すのに2時間。
それが精一杯。

最初に救助にあたったのは、同じ年くらいの女の人。
助けようとすると、
『私はいいから、奥にいるはずの子どもと主人を先に助けて。』
と言ったそうです。でも、そこまでの通路もないので、
まず、女の人を救助することにしました。
でも、女の人の足のは、崩れた瓦礫に挟まれていました。
それを取り除いているとき、
あまりの痛さのため、
『もういいから、殺して。』
『足を切ってしまって。』
彼女の叫び声。それでも、何とか救助して、
次へ進もうとしたとき、
瓦礫の中に、子どもに覆い被さった
おとうさんと、子ども・・・・・息絶えていたそうです。

結局、その現場で夜を徹して12時間救助活動。
でも、無事救助できたのは、3人だけ。
他の10人は、その間に死んでしまった。


19年経った今でも、あの時、どうして
もっと助けられなかったのだろうと
自分を責めてしまうと言っていました。

震災から19年。街は、活気を取り戻し、
復興したように思えます。
でも、人の心の中までは、復興はしていない。

多くの人が亡くなりました。
多くの人が未だに傷ついています。
でも、多くの人が、人間の優しさとは何か、
命とは何かに気づくことができました。
だからこそ、忘れずに語り継がなければ
いけないのだと思います。

人の命とは何か
人の優しさとは何か