突然倒れてしまった姉の事についてあれから後のことを書こうと思います。
前回のブログでは、♿から立ち上がって歩けるようになったところまで書いていました。
今現在の姉は…。
めっちゃ元気になりました
近所のスーパーまで1人で買い物にも行けるようになりました。
昨年の12月の始めに
で運ばれてからの約3週間、意識が戻らない間は病院から電話がかかる度にドキドキしてました。
姉の家は私の住んでいる所(実家)から小走りだと1分くらいの場所にあります。
倒れた日は夜の9時頃だったと思います。
この3時間前に母は姉の家におかずを届けに行っていたので普段通り話をしていました。母からこの後に聞いた話ですが、姉は右の頬が痩せたような…こけたような感じだった気がする。と言っていました。ひょっとしたら、脳梗塞が起こると麻痺して筋肉がしびれるらしいので、この時間から前兆が出ていたのかもしれません。
甥っ子から連絡がきてすぐに母が走って行き、救急車を呼べたことが奇跡だったなと思います。
3年前に引っ越してきていなかったら、車で少し時間がかかる所でした。倒れた場所も甥っ子が居る部屋でした。もし誰も居ない時間だったら…。と考えると、この日のこの時間で本当に良かったなと思います。
意識が戻り初めた頃は意識が朦朧としながらも、先生の指示で光や指を目で追う。手を握ったり足を動かしたり、体に付けられていた医療器具を外したりするので手にミトン
をはめられていました。
子供のことや仕事のこと。気になることがたくさんあったと思うので、早く家に帰ってあれもしてこれもして…。朦朧としながらも頭で考えていたのかなと、なんとなくそう思います。治療に使われた薬はステロイドパルス療法や、免疫グロブリンという薬でした。
退院してからは、以前から飲んでいたコレステロールを下げる薬と便秘なので酸化マグネシウム、血液をサラサラにする薬です。薬が大嫌いな私はこんなに飲んで大丈夫かなといつも思ってしまいます
姉の脳の病巣はかなり稀な症例だと先生から聞いた時、間違いなくストレスでこんなことになったんだと思いました。仕事場での愚痴。姉の職場は下は20代〜上は75歳くらいの
が圧倒的に多く、お局様が居る大奥だと言っていました
どちらかというと姉は、髪の色とか明るい方で腹が立つと態度に出してしまうので、お局様方には目をつけられやすいタイプだと思います

あとは息子達の小言。毎日、怒りすぎて人相が変わっていました。倒れる前は疲れ切った顔をしていたのでずっと心配していました。
真ん中の子は軽いADHDです。注意欠陥障害があり、小さな頃は頻繁にケガをして救急車のお世話になったりとかなり大変でした。障害があるとわかるまで姉は、なん回注意してもケガをする小学生だった甥っ子をかなり怒鳴っていました。中学生の頃は学校で嫌がらせをされたり、心配なことばかりでした。2年生の3学期にADHDだとわかりました。
それまでは姉も甥っ子もしんどかったと思います。
私もそうだったのですが、仕事がなかなか休めないからとか、休みの日は予定があったり、つい体のことは後回しにする、と言うよりも自分は大丈夫。病気とは無縁だと思っている人が多いなと感じます。
でも今は、私と前みたいにバカ言い合って冗談言って笑ったり、一緒に買い物行ったりできるまでに回復してくれました
結局、意識を失った時の脳の異常は自己免疫によるものだったのか、脳梗塞なのかはっきりはわからなかったようです。
最近通院した時、担当の先生が急にお休みされ別の先生に診ていただく機会があったので、姉は結局、脳炎と脳梗塞どっちだったのか?聞いてみたんですが、👨⚕️「実はICUで意識が戻られていない頃にも状態診せて頂いたことがあるんですけど、僕は脳梗塞よりの症状なのかな…とそう思いました。」と言っていました。先生によって見解が違うんだなとつくづく思いました。
私も慢性好酸球性肺炎という病気になりもうすぐ5年が立ちますが、今まで4人の先生に診てもらい、同病の方のブログも読ませて頂いていて思うのですが、先生によって治療法(私の病気の場合、ステロイドを減薬するペースや処方薬)がさまざまだと知りました。肺炎のひどさや、出ている症状などによっても違いはあると思いますが…。
年配の先生だから安心するというわけではなく、自分と同じ病気の患者さんを数多く診たことのある先生だといいなと思います。(稀な病気だと難しいことですが
)
私の担当の先生は年配の先生です。ゆっくり話を聞いてくれる時もあれば、流れ作業のように話を聞いているなと思う時もあります。ゆっくり話を聞いてくれる先生だとほっとします。病院で働いていたことがあるので、先生達が超多忙なのは百も承知ですが、医師不足でそんな先生が少ないことが悲しいです
姉の話に戻ります
リハビリ病院に転院してからのリハビリ計画書を見ると、『脳動脈解離による脳梗塞』と書かれていました。
リハビリ専門病院のリハビリはとてもハードだったようです。自宅での生活に戻る為に組まれていたリハビリ計画だったと思うので、スパルタだったのかもしれません。午前も午後も歩いたり、自転車をこいだり、料理をする訓練もしていて、時々今日はこれ作った!と目玉焼きや野菜炒め、お味噌汁の写真を送ってくれることがありました
脳梗塞による後遺症があります。
過去の出来事や出会った人の記憶がないのです。退院していつも通っていたスーパーに行った時、セルフレジになっていたことを初めて見た人かのように驚いていました
車に乗せて家の近くを走っていると、「こんな所に◯◯が!?」と、もう何年も前からあるお店を見てそんな風に言ったり。前に働いていた職場で、娘のように優しくしてもらって、大好きだった方のことを忘れていたり
退院して家に帰ると、自分が今まで買った物の記憶がなく、服がいっぱいあることに驚いていました。好みや思考も変わり、上下合わせる服も変わりました

いい意味でケチになりました。買い物に行っても必要な物以外は買わない人になりました。前は買い物をすることがストレス発散になっていたんだと思います。退院前に姉の家にそうじに行った時、物の多さにびっくりしました
食べることや料理が好きだったのですが、簡単に調理できる物で済ませるようになりました。最近は、めんどくさいが口癖です
2つのことを同時進行することができなくなりました。
私が先生に姉は料理が好きだったので、前のようにレパートリーが増えたらいいなと思っていることを伝えると、ケアマネジャーさんが話を聞いてくれて、理学療法士さんが週に1回家にきて一緒にご飯を作るというリハビリを提案してくれました。
始めはあまり乗り気ではなかったですが、最近は慣れたのか、昨日は◯◯出身の人がきた!と割りと楽しそうに、作った物の話ではなく人間の話をしています
スマホの操作やLINEの送り方も忘れていました。リハビリ病院に転院してからしばらく立った頃、意味不明な暗号?のようなLINEが時々きました
今はLINEは出来るようになりましたが、スマホ初心者🔰に戻っているので、色々なアイコンをさわって覚え直し中です。
最近は退院した頃に比べると記憶がかなり戻ってきました。先生もちょっとづつ回復してくると思います。と言っていたのでほっとしています
知人に脳梗塞の後遺症が全くないね!と言われるくらいしっかり歩けるようになりました。ここまで回復できたのは関わって下さった先生や、医療スタッフの方々のお陰だということを、大学病院での記憶がない姉にいつも聞かせています。
脳の病気をしてからの姉は家族がビックリするぐらい性格が丸くなりました。あんなに怒っていた人がこんなにも変わるのか?と不思議です
前は男気があった姉ですが心優しい人になりました。もう1回お嫁に行けるかも…。と思えるぐらい女らしくなりました
今まで波乱万丈だったので、色々忘れてしまったけれどスッキリしたのかもしれません。
これからまた色々なことが出来るようになったらいいなとは思いますが、一緒に笑ってくれているだけでもう十分です!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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