最近 Netflixで

長瀬智也主演 宮藤官九郎脚本の
「俺の家の話」を見ています。

代々能楽師の家の
後を継がすに出ていった元プロレスラーの長男が
自分の引退また親の入院をきっかけに
25年ぶりに実家に帰ってくるのですが

待っていたのは昔ながらの大きな古い家
妹弟やお弟子さん達
そして人間国宝の立派な父親…

と思ったら
二年前 病に倒れた父が働けず
家計は赤字で火の車。
そして大黒柱の父親には認知症の兆しが…

そこから始まる
無骨でも心は優しい長男の
悪戦苦闘の日々がクドカン流の
ユーモアとスピードで展開されていく。

当時はコロナ直下
ドラマの中でもマスクも消毒も
当たり前に行われていて
何だか懐かしい気さえした。

父親は体が不自由になって以来
歩くのも食べるのも
お風呂も排泄も機械や人の手を借りている。

口は達者で
頭も元気そうだが
進行する認知症は
これを機会に集まった家族に
色んな悲喜こもごもを与えてくれる。

しかし劇中
そこに居たレスラーの後輩が
「こちらは明るくて良いですね!」と
自分の祖母が介護になったときの
切ない顛末を語り
主人公は自分達家族が賑やかで
その時ごと集う事に始めて救いを感じた。

荒川良々演じるケアマネジャーが
「明るくやっても暗くやっても同じ介護です」
と語り家族の前でユーモアたっぷりに
大げさなくらい明るく賑やかなことが
見ている側にふとした気の緩みを与えてくれる。

前半介護一の父を長男の事情で
いっとき 家に一人きりにしたとき
トイレに行こうと歩き出して
廊下で転びそのまま倒れているところを
帰ってきた弟子に発見されて救急搬送されてしまう。

そこで父の婚約者?の設定のヘルパーでもある女性は
過信して留守にしてしまった主人公に強く言う。

「介護にまさかは無いんです」

調子が良かったからとはいえ
自分の都合のために
要介護一の父を1時間から2時間
家で1人にして起きたことは余所事ではない。

頭がちゃんとしていると周りは思えても
そこそこ動けるとしても
要介護一そしてニと言うのは
手を貸さねば自立がしにくいと言う判定であり
手を貸せば自立出来るという現実からは遠いと
我が親を見てそう思う。

そして介護する側が明るくいられるのは
介護する生活の他に
自分が自分らしく居られて
かつ経済的に自立出来るからだ。

それには介護を代わる人も
また仕事も必要なのだと主人公の
笑いながらも一生懸命な姿を通して
伝わってくる。

どうせやるなら明るく介護しよう。
本当には難しくても
自分や人を責めるメンタルだけは
選ばないように。

しかしそれが叶うには
要介護者に関わる人間の質もだが
何より数がものを言うと思う。

一人っ子である私の在宅介護は
すべて私がやってるので
代わりというのは考え難い。

それを埋めてくれるのは
夫や息子娘であり
ご近所さんであり
介護サービスであるけれど
それら全てがあって回ってこそ
私は何とか自分という生活を維持できるのだ。


今先人たちまた今の高齢者達が築いた社会の
僅かな上の方で一切手を汚さすに生きている
少しの数の人間は
これからの高齢化
また人口減の現実が見えているのだろうか。