となりの新型コロナウイルス | 佳子のブログ

佳子のブログ

基本は猫ズと3人で自宅警備員
日々の糧をかせぐためにメディカルセンターで夜勤をしながら
ときどき行政書士をしています。
バツイチ&アラフォーのひとりぐらしです。

私は、新型コロナウイルスのホットスポットで働き、ホットスポットで暮らしており

最近は、片手に次亜塩素酸水のはいったボトル、片手にはキッチンペーパー

そしてビニール手袋をはめて、とうとう、昨日はN95マスクをつけて仕事をしたと……

 

あんまりな厳戒態勢の中にいるわけですがo(TωT )

 

今回の新型コロナ

政府や厚労省がいってる症状と、臨床とかびみょーに違う気がするのは私だけでしょうか

 

ちなみに、私の住んでいる市の直近のニュースは

福祉事業所で5人が感染、というもの( ;∀;)

 

しかもなんか、情報が隠蔽されてるくさい

(詳しく書けないのがもどかしいのですが、きっと、官邸とか内閣とかが圧をかけてるんだろーなと思う)

 

現場にいると、あきらかにおかしい患者さんがちらほらおみえになるわけですが

この新型コロナの摩訶不思議な点は、症状にばらつきがあることなんです

 

咳がとまらないってひともいれば、微熱がさがらない、下痢がひどい、吐き気がひどい

頭が痛い……などなど

 

でも、どのひとも一律同じようになっているのが「倦怠感」なんだよな、というのが

私の印象です。

 

とにかく椅子に座ってられないくらいに体がだるい、しんどい

横になってしまう

そんな状態で、さまざまな症状を発症している……。

 

不思議なウイルスです。

 

昨日は、下痢の患者さんがとっても多い日でした。

前述した福祉施設のニュースとあいまって、私は、ちょっとだけ、自分が住む街のパンデミックを覚悟しました。

 

たぶんもう広がっている、すさまじく広がっている。

姿を消して、潜伏して、何日も何日も正体を見せず、やがて現れても、「これ!」という分かりやすい症状ではない

 

ICUにおられる患者さんですら、肺がきれい、なのに重症、多臓器不全でお亡くなりになる、なんてこともあるわけで、まったく新しい、人類がこれまで遭遇したことのないウイルスなのではないかと思っています。

 

さらにサイトカインストームという、ほとんど、ロシアンルーレットみたいなおまけまでついてくる。

もういやo(TωT )

 

考えれば考えるほど、闇落ちしそうになってしまう……。

 

だけど、ふと思いました。

実はこのウイルスは、もしかしたら我々にものすごくだいじなことを教えてくれてるんじゃないかと。

 

予測(想定)できない

前例が役にたたない

簡単に答えがでない

目でみて確認できない

 

これこそが、人類がもっとも嫌い、避け、そうでないものにこそ価値をおき、これまで文明を築いてきたわけですが、私はそのもっとも象徴的なものが、お金と名誉(地位とか役職とか学歴とか)のような気がするのです。

 

だけど、お金の価値もない、わからないひとにはわからない

だけど、ふと木漏れ日をみて、涙がでるほど感動したり

猫がおなかを出してねているから、時間をわすれてなぜてみたり

おうちのなかでゆっくりとゆったりと何もしないですごしたり

 

そんな、金にもならない、役にもたたない、わからないひとにはわからない、もちろん目にも見えない、だけど確かにそこにあって、自分自身の根幹をささえるような宝物

 

その存在というか、そういうもの(不確かで、目に見えなくて、確かめられなくて、誰もがわかる価値の定められない物)あやういもの、だけど、確固たるもの

 

そんなものが、この世には存在してるんだってことを、死の恐怖とともに、宣言している、そんなウイルスのような気がして仕方がないのです。

 

私は、この新型コロナウイルスが恐ろしいです。

だけど、人類に対して、なんて壮大な問いかけをしてくる生き物だろうと思っています。

 

仮にこれが、人工であったとしても、

もしかして、人間のよからぬ企てによって創造されたものであったとしても

このウイルスは、創り手の意図などに従わず、ものすごい問題提起を人類にしているような気がして仕方がありません。

 

終わらない戦いなんだろうか……

我々は、今、無理ゲーをしているのだろうか……

 

と思ったときに、実はそうではないのかもしれないと、心がくらっとしたのが、いちばん新しい私の印象です。

 

このウイルスは、人類の喉を真綿でしめている

だけどその真綿は、どれほど細くなっても決して切れることなく、息の根がとまる瞬間までぎりぎりと締め上げてくる

 

そう思うわけですが、もしかしたら、真綿のまま、やわらかいまま、ずっと首に巻いて一生を終える、そんな未来があるのかもしれない

 

だけどそのためには、ありとあらゆる既存の価値観を、いったん人類は捨てなければならないのではないか

 

そんなことを、漠然と考えています。