清水固さんの偉業
清水固さんが清水比庵先生の弟・清水三渓先生のお宅を訪ねた時の事です。
従兄に当たる三渓先生の息子さんから問われたそうです。
なぜ、君はそんなに比庵の事を熱心にやるのか?と
その時、空かさず「生きがいだ。」と応えたと聞きました。
清水固さんは清水比庵に関する機関誌「清水比庵佳境の会」を80歳からの10年間に亘り発行し、全国の会員各位から寄せて頂いたエピソードを広く皆様に紹介してくださいました。その功績は我々が知らなかった比庵を知り身近に感じることが来ました。
その固さんの横浜市港南台の書斎で数多くの比庵資料に交じり、異質の一冊を見付けました。
「現代サラリーマン事情 加藤仁著」(中央公論社・昭和55年発刊)
僕はそれについて尋ねました。
固さんは「ああ、それね。サラリーマン時代の僕を取材したものだよ。あげられないよ。それ一冊しかないんだから。」自慢するでもなくサラリと語りました。
僕は笠岡に帰宅の後も気になってしょうがないのでネットで検索しました。
既に廃刊と成っていたその書籍は新潟の古書店に在りました。
日石(日本石油)にお勤めしていた時代の清水固さんの奮闘ぶりがドキュメンテリ―として熱く記されていました。
題して「第二次オイルショック-石油配給課長の製油計画」
今もNHKで「プロジェクトX~挑戦者たち~」が続いていれば間違いなく取り上げられる人だと想います。
北の地に赴任した経験を持つ清水固さんは冬の寒さを体感しており、灯油の確保に生命を掛けて奮闘しました。