ここを読むと、立党精神がどんなものか、よくわかる。民衆のため公明党議員関係者は率先して信心を深めなければならない。

座談会に出なくなったのはいつからだ。

 

 池田大作先生は、この戸田城聖先生の話の内容を一番よく知っていなければならなかったのに、今の国会から地方までの公明党議員に、そしてその関係者に、このことを毎日でも指導しなければならなかったのに、いつのまにかご自分の立場を忘れられたのではないか、と思う。当然公明党関係者もほぼ知らないのだろう、立党精神を。

 

 池田大作先生を師匠だという粟田さんの思想は、ただ、これだけの創価学会を作られた人だから池田大作先生が仏法を知ろうが知るまいが、性格がどうあろうがなかろうが、関係ない。ただ現実に創価学会をこれだけ大きくした人だから、という今の多くの人が持つ価値観での結果を見つめた考えだと思う。この価値観は時代とともに変わる。(仏法は三世のことを考えることが基本)

 

 当に、池田大作先生は、末法は「無戒」だと思ってあったのではないかと思う。仏法の理解は浅かった方ではないかと思う。

 牧口先生の価値論を深く学べば仏法に沿っているし沿わなければできないし、例えば泥棒が金を儲けるために人をだまして金を奪うことは許される、ひいては人を殺しても、毛沢東の考え方? と、末法は無戒だから、題目さえ唱えていれば許されると、そんな考えではなかったろうかと粟田晋さんと長井秀和氏のYoutubeでの話を聞いて2チャンネルで見ていた沖浦さんを思い出した。沖浦さんも粟田さんと同じような考え方の人ではなかったろうかと思う。

 池田大作先生を師匠だと言う方々から感じるのは、仏法は勝負!勝て!勝て!勝て!

 牧口先生の価値論は横に置くのかな?資本主義の社会で勝つことは一方で負ける人々を生み出すよね。

 いろいろの主張やその反論も言葉ではいろいろ書けるけど、

 「香峯子抄」には「負けないことが大事」そうあった様に覚えている。奥様は「負けないことが大事」というお考えを書かれていたと思う。仏法もそうだと思う。

 

 仏法は三世を考える。だから人と比較することはない。価値論を考えながら、死ぬまで負けない、民衆のために死んでも悔いはない。たとえ死んでもつぎに生まれてきたらそこから出発できる、仏法はそういう考え方であると思う。だから、死ぬまで闘う、勉強する、行動する。行学に励める。日蓮大聖人の仏法は素晴らしいと思う。