弘安二年の御本尊について

 

※私見2024/03/23時点で

 弘安二年の御本尊様を「物体」として存在する必要はないと思います。(もちろん、色心不二ですので、法本尊、人本尊は解釈としてあると思いますが、多分日本人は「空」という感覚は分かるのではないか、西欧人や今の中国人や(在日)韓国・朝鮮人は理解できないのではないか、今の聖教新聞は言葉とともに…とか言ってるけど、当然言葉だけでは表現できないわからないものがあるんですよ、中諦っていうんですかね。
 

 破門騒ぎがあったときに、御本尊がどうなっているのだ、と2チャンネル等で論争がありました。唯物的な話ばかりでした。
 なんで論争しているのか、私は不思議でしたが、昔から普通の創価学会員の家には紙に書いた御本尊がありました。

 ただの紙に書いた(多分印刷された)御本尊です。でも、この御本尊に向かって唱題していました。
 戸田先生は、「一万円札は紙ですが、これは紙だといって捨てますか?」と笑いとともに分かりやすく話されています。

 弘安二年の御本尊様が物として私たちには存在する必要はないと思います。だって大聖人が書かれたのは紙でしょうし、時が経てば、なくなってしまう事もあるでしょう。偽物だという馬鹿な論争をしている人達は、戸田先生の悟られた真意を分かってない人達だと思います。

是に対する回答は戸田先生がおっしゃられている是では無いでしょうか。正宗が、これが本物だ、といえば、泥棒や不要な論争が起こるので、知っていても言わないのでは無いでしょうか。

 

質問会編 5 大御本尊の対告衆について

 

 

 おそらく、池田大作先生も理解されていなかったと思います。だって、法主と訴訟したり、聖教新聞紙上で法主を仏敵と言ったり聞くに堪えない言葉で誹謗していました。

 結局、池田大作先生をはじめ原田現会長も同じ(秋谷元会長は違っているように感じましたが)でした。今の本部幹部で戸田先生の真意を分かっている人、どれぐらい居るんだろうと思います。

 戸田先生の悟られたのは、刑務所の中で御本尊様はありません。仏とは「生命」だ、ということを悟られた。これが全てで大聖人の南無妙法蓮華経が「生命」と悟られたんだと思います。これ、受持即観心ではないでしょうか。

 だから、富士の大石寺に「弘安二年の御本尊様」があるんです。日興上人が身延から大聖人の生命を持って行かれた大石寺にあるんです。

 だから、破門されても関係ないのです。破門なんて西洋のキリスト教社会で通用するような事です。宗門も、無駄な事をした、馬鹿な事をした、まさにGHQのWGIPによる洗脳された弁護士どもに分断された、と思います。

 次の 5 大御本尊の対告たいごう衆しゅうについて を読めば、私の言っていることが理解されるのではないかと思います。

 今からでも、宗門も学会も遅くない。戸田先生の「生命」がわかるなら、広布に一緒になって日本人の生命を本来の生命に変えていかなければなりません。

 今の公明党なんか、まさに仏敵ですよ。応援したり投票したりすべきでないです。戸田先生の悟りとはほど遠い所にいますよ。
 座談会で公明党の話なんかする必要はないです。Fの数なんか報告する必要はないのです。適当に言ったらいいのです。

 貴重な月1回の座談会の時間が無くなります。
 この質問会のように、みんなの近況や功徳・疑問など話し合ったらいいのです。

時には幹部批判など、堂々とすればいいのです。