「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、
前田利家の石廟の紹介です。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
---|---|---|
前田利家 | 瑞龍寺 | 富山県高岡市関本町35 |
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前田利家の石廟は瑞龍寺にあります。
拝観:500円。
発見難易度★★★☆☆
墓は本堂に向かって左手方面にあります。
駐車場があります。
拝観:500円。
発見難易度★★★☆☆
墓は本堂に向かって左手方面にあります。
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
槍の又左、加賀百万石の太守へ
前田利家は、織田信長の赤母衣衆で「槍の又左」と呼ばれるほどの槍の使い手でした。
天正9年(1581年)、織田信長から能登一国を与えられ、七尾城に入ります。
翌天正10年(1582年)、湊に近く利便性のよい小丸山に城を築き移り住みました。
信長の死後の天正13年(1583年)、賤ヶ岳の戦いの後、羽柴秀吉から加増を受け、居城を加賀の金沢城に移しました。
加賀前田家は、前田利家から始まり、以降明治まで統治が続きます。
加賀藩初代藩主・前田利長の菩提寺・瑞龍寺
瑞龍寺は加賀藩初代藩主・前田利長の菩提寺で、2代藩主・前田利常が建立しました。
平成9年(1997年)に山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、その他、総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟は重要文化財に指定されています。
前田利家の石廟は前田利常が瑞龍寺を建立した際に造られました。
石廟はその他、織田信長、織田信忠、前田利長、織田信長側室・正覚院の5基が並んでいます。
右から前田利長、前田利家、織田信長、織田信長側室・正覚院、織田信忠の石廟。
前田利家の石廟。
石廟の中に納められた宝篋印塔。
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