武将の銅像 | 武田信虎の銅像 - 信玄だけじゃない?甲府駅に新しく建てられた銅像! | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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武田信虎の銅像の紹介です。

 

人物名 銅像設置場所 住所
武田信虎 甲府駅 北口 山梨県甲府市丸の内1丁目1

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武田信虎の銅像は、甲府駅 北口にあります。

くるまr近くに30分無料の駐車場があります。

 

息子・晴信(信玄)に突如追放される
武田信虎は、甲斐武田家15代当主で武田信玄の父にあたります。
天文10年(1541年)、今川義元との会見のため駿河へと旅立った信虎でしたが、突如国境が封鎖され、駿河へと追放という形で子・晴信(信玄)に家督を奪われてしまいました。
強制的に隠居させられてしまった信虎は、今川義元のもとで暮らし、その間、京都、奈良、和歌山などを遍歴しています。
信玄の死後(元亀4年(1573年)以降)、ようやく武田領・高遠城へと戻ります。
そのころ高遠城を居城としていたのは信玄の弟・武田信廉でした。
(※寺の案内によると、永禄9年(1566年)、72歳の時に高遠城へ戻ったとあります)

息子・晴信(信玄)に突如追放される
平成30年(2018年)、翌年の甲府開府500年を記念して、甲府の礎を築いた武田信虎の銅像が建てられました。
銅像の高さは2.1m、重さは400kg。
右手に軍配を持ち、躑躅ヶ崎城を背にし、甲斐統一後に登ったとされる富士山を見据えています。

 

 

武田信虎の銅像全景。

 

 

アップ。

 

 

さらにアップ。シブい、シブすぎる爆  笑

 

 

向って右側から。

 

 

後ろ。

 

 

真後ろ。

 

 

向かって左側から。

 

 

アップ。軍扇を持ってます。

 

 

左斜め。

 

 

藤村記念館(旧睦沢学校校舎)と。

 

 

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