城めぐり | 岡山城その2 - 豊臣五大老の一人宇喜多秀家が築く。天守は大戦で焼失! | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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お城めぐりの旅、岡山城その2の紹介です。

 

城名(別名) 住所 関連する人物
岡山城(烏城、金烏城) 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3−1 宇喜多直家、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠継ほか

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日本100名城スタンプ No.70
登城年月:2010年02月
登城順:65/100
岡山城は宇喜多直家、秀家親子が築いた巨城です。
くるまr駐車場があります(有料)。

100名城スタンプは天守閣にあります。
入館料:400円(後楽園、林原美術館等との共通券あり)。
休館日:12月29日~31日。
開館時間:9:00~17:30。


豊臣五大老の一人・宇喜多秀家の居城

現在ある岡山城は、宇喜多直家が岡山城前身の石山城城主・金光宗高を滅ぼし、天正元年(1573年)に居城としたのにはじまります。
直家は、居を移すと城を改修し、城下町を整備しました。

直家の死後に家督を継いだ子の宇喜多秀家は、羽柴(豊臣)秀吉の寵愛を受け、秀吉の養女(前田利家の娘)・豪姫を正室に迎え、秀吉の一族となり、豊臣五大老に列します。
天正18年(1590年)から秀家は城の改修と拡張を開始。 その際、本丸を東側に移動しました(旧本丸があった場所は二の丸に代わります)。
慶長2年(1597年)、五大老にふさわしい豪壮な天守が完成しました。

秀吉の死後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こります。
宇喜多秀家は西軍の主力として戦いますが敗戦。
宇喜多家は改易となってしまいました。

江戸時代の岡山藩主
関ケ原の後、小早川秀秋が岡山に入封します。
秀秋は城を拡張。新たに外堀を巡らせました。
慶長7年(1602年)、秀秋は急逝。世嗣なく小早川家は断絶となります。
慶長8年(1603年)、池田輝政の子・忠継が岡山へと入封。
二代続いたのち、寛永9年(1632年)、鳥取池田家と岡山池田家が国替えとなり、以降、明治まで池田家が岡山を治めました。

天守は惜しくも大戦で焼失
宇喜多秀家が築いた天守は国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)の空襲で惜しくも焼失してしまいました。
その際に、二の丸の石山門も焼失しています。
現在の天守は、戦後再建(昭和41年完成)されました。
二の丸の石山門は再建されていません。

 

本丸縄張り。

 

 

黒鉄門(跡)。

 

 

黒鉄門(跡)を上から。左手の門は不明門です。
不明門へは黒鉄門を通った後、Uターンするように進みます。

 

 

黒鉄門(跡)を通過後、不明門を見る。

 

 

不明門。本丸本段への虎口に築かれています。
普段の出入りは北の渡り廊下を使用し、この門は閉ざされていたことから、
不明門(あかずのもん)と呼ばれました。昭和41(1966年)年再建。

 

 

本丸本段へ。

 

 

不明門を本丸本段側から。

 

 

本丸本段に建つ天守。

 

 

埋蔵していた宇喜多秀家時代中の段の石垣を展示。現在の中の段の中ほどにあります。

 

 

天守の礎石。元の通りに並べられている。

 

 

本丸本段に建つ六十一雁木上門。1966年(昭和41年)再建。

 

 

六十一雁木上門の鯱。

 

 

穴蔵。幅3.8m、奥行き2.9m、深さ2.3m。家屋が建っていました。

 

 

台所で使用されていた石。

 

 

本丸中の段の泉水。表書院の中庭にあった泉水が復元されています。

 

 

本丸中の段に建つ月見櫓。現存です。

 

 

月見櫓から唐破風上の鬼板。池田家の紋です。

 

 

月見櫓付近の眼鏡。

 

 

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