武将の墓 | 島津宗久の墓 - 福昌寺跡!落馬によって早世した島津家の跡取り | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、島津宗久の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
島津宗久 福昌寺跡 鹿児島県鹿児島市池之上町24

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島津宗久の墓は福昌寺跡にあります。
発見難易度★★☆☆☆

くるまr駐車場はありませんが、少し離れた所になんとか停めました。


落馬によって早世した島津家の跡取り

島津宗久(しまづむねひさ)は島津貞久(さだひさ)の次男です。
長兄は庶子であったため、宗久は次男ですが家督を継ぐ身分にありました。
しかし、興国元年/暦応3年(1340年)、落馬事故により19歳の若さで世を去ってしまいました。

そのため、父・貞久は三男の島津師久(もろひさ)に家督を譲渡。
師久が島津家6代当主となります。
その際、薩摩の守護職を師久に、大隅の守護職は四男の氏久に譲り、兄弟で分割統治をさせました。
これが後に島津家での内乱を生むこととなります。

廃仏毀釈によって破壊された福昌寺
明治の愚行・廃仏毀釈によって日本全国の寺院は破壊されます。
特に鹿児島藩は徹底的で、藩内の全ての寺院が破壊されました。
なので、鹿児島には古いお寺が一切ありません。
残念ですねーショボーン
当主の菩提寺も例外ではなく、破壊されてしまったため、残っていません。

 

 

福昌寺跡入り口。

 

 

立派な灯篭。

 

 

墓へ。

 

 

島津師久(左)と島津宗久(右)の墓が兄弟揃って2基並んでいました。

 

 

島津宗久の墓。

 

 

凝った形の灯篭。

 

 

ずらりと並ぶ島津当主の墓。

 

 

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