武将の墓 | 小原縫殿助の墓 - 右念山!主君の伊達小次郎に忠義を尽くして自害した男 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、小原縫殿助の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
小原縫殿助 右念山中腹 宮城県登米市津山町横山水沢

 

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小原縫殿助の墓は右念山中腹にあります。
発見難易度★★☆☆☆

くるまr駐車場があります。


兄・政宗によって殺害された伊達小次郎

小原縫殿助(おばらぬいのすけ)は伊達小次郎の守役です。
伊達小次郎は伊達政宗の弟で、 天正18年(1590年)、政宗が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するに当たり、留守中の伊達家に内乱が起こる事を恐れ、政宗によって殺害されました。

小次郎の守役・小原縫殿助の忠義
小次郎の守役・小原縫殿助は城より密かに小次郎の遺骸を運び出し、福島の某寺に埋葬しました。
しかし、天正19年(1591年)、奥州仕置きによって伊達家は会津の地を召し上げられてしまったため、政宗の母・お東の方の化粧領地とされた本吉郡の右念山山頂に、お東の方の命を受け、文禄元年(1592年)一月、小次郎の遺骸を改葬しました。

小次郎の遺骸を改葬し供養を終えた縫殿助は、翌月に殉死し、今でも右念山山腹で主・小次郎を見守っています。

 

案内板。

 

 

墓への道。

 

 

小原縫殿助の墓。

 

 

別角度から。

 


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