武将の墓 | 蠣崎四代の墓 - 法幢寺!信廣から四代、北海道に覇を唱える! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、蠣崎四代の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
蠣崎四代(信廣、光廣、義廣、季廣) 法幢寺 北海道松前郡松前町松城307

 

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蠣崎四代の墓は法幢寺にあります。
発見難易度★★☆☆☆

くるまr駐車場があります。


松前蠣崎氏の祖・武田信廣

蠣崎氏は若狭武田氏の流れを汲む武田信廣を祖としています。
武田信廣は宝徳3年(1452年)、若狭から下北半島の蠣崎(むつ市川内町)へと下向。その2年後、北海道の蠣崎季繁を頼り蝦夷(北海道)へと移りました。
その後、季繁の娘婿となり、蠣崎氏を継ぎました。
長禄元年(1457年)コシャマインの戦いに勝利し勢力を広げます。

二代・蠣崎光廣
蠣崎信廣嫡男です。
居を松前の大館に移す。
アイヌ・ショヤコウジ兄弟と戦い撃破す。

三代・蠣崎義廣
蠣崎光廣の子。
父・光廣とともにショヤコウジ兄弟と戦う。
以降も、アイヌとの戦いに終始す。

四代・蠣崎季廣
蠣崎義廣の子。
天文18年(1549年)、アイヌと和睦し、道南の支配に努める。

 

山門。重文です。17世紀建立。

 

 

山門。四天王が祀られています。

 

 

御霊屋。累代藩主一族の位牌が祀られています。

 

 

本堂。

 

 

墓所への入口。入り口に聳える欅は寛永年間に植えられました。

 

 

四代の墓。

 

 

戒名アップ。

 


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