武将の墓 | 安国寺恵瓊の墓 - 不動院!毛利の怪僧ここに眠る! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、安国寺恵瓊の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
安国寺恵瓊 不動院 広島県広島市東区牛田新町3-4-9

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安国寺恵瓊の墓は不動院にあります。
発見難易度★★☆☆☆
墓は本堂左手の山にあります。


くるまr駐車場があります。


僧から武人へと転身した安国寺恵瓊
安国寺恵瓊は安芸武田氏の一族の出身といわれています。
武田家が滅亡すると出家し、安国寺の住職となりました。
その頃から毛利家の外交僧となり、毛利の使者として敵対勢力との交渉を行っています。
天正10年(1582年)、備中高松城において羽柴秀吉と毛利は対峙。
その際に、恵瓊は秀吉との和睦をまとめる事に成功し、秀吉の信任を得ます。
以降、恵瓊は毛利から離れ、秀吉の側近として仕え、合戦にも参加しています。

秀吉死後の関ケ原では西軍につき、戦後、処刑され人生を終えます。

安国寺中興の祖・安国寺恵瓊
安国寺恵瓊の墓のある不動院はかつて安国寺と呼ばれており、 足利尊氏が日本に設立した数ある安国寺の一寺でした。
安芸の守護・武田家の菩提寺とし繁栄しますが、 大永年間(1521~27)の武田家と大内家の争いにより伽藍は焼失。
その後の武田家の滅亡とともに荒廃してしまいます。
寺を再興したのは毛利の使僧・安国寺恵瓊で、恵瓊は今日残る金堂、楼門、鐘楼などを再建しました。

寺は関ケ原により恵瓊が刑死した後、福島正則の祈祷僧によって禅宗から真言宗に改められ、不動院と称するようになりました。

国宝・不動院金堂
不動院の金堂は国宝に指定されています。
大内義隆が山口に建立したものを、住職であった安国寺恵瓊がこの地に移築したと伝わっています。
堂には薬師如来が安置されています。
その他、楼門、鐘楼堂は重文に指定されています。

 

 

楼門。国重文です。

 

 

楼門からの金堂。国宝です。

 

 

鐘楼堂と金堂。鐘楼堂も国重文です。

 

 

不動堂。

 

 

庭園。

 

 

墓への道。金堂左手です。

 

 

安国寺恵瓊の墓。

 

 

後ろから。頭が欠けてました(泣)

 

 

秀吉のお墓と並んでます。一緒に並べてよかったですね。

 

安国寺恵瓊のフィギュアはこちら。

 

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