武将の墓 | 清水宗治の胴塚 - 家臣たちが首の無い遺骸を泣く泣く埋葬! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、清水宗治の胴塚の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
清水宗治 備中高松城そばの民家 岡山県岡山市北区高松

 

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清水宗治の胴塚は備中高松城そばの民家の庭先にあります。
発見難易度★★★☆☆

くるまr駐車場があります。


秀吉の奇策の前に敗れた義の将

清水宗治(しみずむねはる)は毛利家家臣です。
天正10年(1582年)、羽柴秀吉の中国攻めの際に、宗治は備中高松城に籠城し、羽柴の大軍を迎え撃ちます。
宗治の籠る備中高松城は低湿地を利用した、容易に攻め込めぬ沼城でした。
秀吉は城の周囲に堤を築き、足守川から水を引き、前代未聞の水攻めを行います。
梅雨の時期も手伝って、城は水の中に孤立し、援軍に訪れた毛利も手が出せませんでした。
宗治は己の命運が尽きたことを悟り、水没した城から舟で漕ぎ出し、城兵の助命を条件に舟上で自刃して果てました。
その際の秀吉方の検死役は堀尾吉晴でした。

宗治が自刃したのは本能寺の変の後のことであり、もし宗治にその報が伝わっていたならば、あるいは違う運命が待っていたかもしれません。

首の無い胴遺骸を埋葬
自刃して果て介錯された清水宗治の遺骸を乗せた舟は、首級のないまま水上を漂い本丸へとたどり着きます。
遺骸は親族、家臣たちによって当地に葬られました。
この地は、かつて家臣たちの屋敷が建ち並んでいた場所です。


案内板。

 

 

清水宗治の胴塚。全景。

 

 

清水宗治の胴塚。

 


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